百葉箱

百葉箱2020年9月号 / 吉川 宏志

2020年9月号

  雨、雨と言いながらゆく 紫陽花は動かないまま雨、雨のなか
                              宇梶晶子

 「雨、雨」の繰り返しが独自のリズムを作っている。「動かないまま」もおもしろく、かえって紫陽花の動きがイメージされる。
 
  草刈機に昼顔刈られ一面に顔の散らばるフェンスの辺り
                           石井夢津子

 「顔の散らばる」にドキッとする。桃色の、無惨な風景が目に見えてくる。
 
  三保浜は友には一人になる場所か松原ぬけて案内しくるる
                            首藤よしえ

 いつもは友が一人の時間を持つための場所。そこに自分を連れてきてくれたことに、静かな喜びを感じている。
 
  おそらくは一人が似合ふ人と居てゆふぐれてなほ海をみてゐる
                              長澤ゆり子

 前の歌と似た場面だが、こちらは相手の孤独の中に自分が入っていけず、ぼんやり海を見ているしかない。全体のやわらかに続いてゆくリズムが魅力的。
 
  自分から連絡するのがむずかしいぶどうを指と指でつぶして
                             椛沢知世

 自分から会いに行けない寂しさと、下の句の細かな、嗜虐的な動作がよく合っている。
 
  虫喰いの桐の大葉は笊のごと向こうの山の透けて見えたり
                            平田優子

 「笊のごと」という比喩に、素朴な味わいがある。桐の葉の大きさをうまく捉えている。
 
  うっすらと雪平鍋に染みついた線は一人分の味噌汁の嵩
                           逢坂みずき

 細部を静かに見つめることで、長い一人暮らしの哀感がおのずから滲みだしている。
 
  わが店は着物が売れず反物を潰して絹のマスクを作る
                          坂下俊郎

 事実をストレートに詠んだ歌だが、商売の厳しさが伝わる。「潰して」に痛みがある。
 
  世界中の暇といふ字をすりかへてこの世にあふれさせたし蝦を
                              千葉優作

 奇抜な発想に驚かされる。大量の「蝦」の字があふれる世界は、想像すると不気味だ。
 
  その種の弾けしあとの莢黒くカラスノエンドウ金網に沿ふ
                            寺田慧子

 カラスノエンドウの莢は、枯れると黒くなる。自然の小さなところを見つめる眼差しがいい。「その」から始まる文体も面白い。
 
  洞というバス停はありただ一度告白のため降りしことあり
                            宮野奈津子

 「洞」というバス停の名前が印象的。遠い恋の記憶であるが、今でも「洞」のように暗く自分の中に残っている。
 
  死は生に比べ擬人化されやすくふたりを分かつ恐ろしき人
                            仲原 佳

 上の句の発想が凄い。「擬人化」とは何なのか、言葉についていろいろと考えさせられる。
 
  どうしても届かなかった 水鳥の羽すこしずつ重くする水
                            雲井ひるね

 上の句は恋の思いなのだろう。下の句のイメージと重なり、どうしても飛翔できない哀しみが、じわりと沁みてくる。
 
  ぎんやんまみたいに頬に触れるからしばらくわたしは静かな水面
                               toron*

 恋人に頬を触れられているような場面か。「ぎんやんま」の比喩が美しい。受け容れている「わたし」への自己愛も感じられる。

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