百葉箱

百葉箱2020年5月号 / 吉川 宏志

2020年5月号

  長江のダムの現場にすすりたる亀のスープに亀の首あり
                            小圷光風

 下の句にどきっとする。「亀」の繰り返しや、長江という場所が歌に広がりを与えている。
 
  冠雪の白きわまれる茶臼岳二月の空から剥がせそうです
                            相馬好子

 青空の中の雪山の鮮やかさ。素直な下の句から、感慨がいきいきと伝わってくる。
 
  子の傘はすぐに重たくなつてきて雪の舗道に歩みがとまる
                             西之原一貴

 傘を振らないので、すぐに雪が積もるのだろう。子どもの様子が、さりげなく的確に捉えられた歌。少し困った感じもある。
 
  ここまでと決めて栞を挟みしが明日読む一首を目はまだ追へり
                               小林真代

 歌集を読むときの目の動きをリアルに描く。今日が終わることの名残り惜しさもあろう。
 
  臥牛像の黒く冷たく照りゐたり目の中までを人に撫でられ
                             清水弘子

 下の句にとても臨場感があって面白い。人が祈る心の激しさに、作者はおののいている。
 
  ふくらはぎに彫られて梟ちぢんだり伸びたりしながら階段のぼる
                                広瀬明子

 「ちぢんだり伸びたり」という長い音感のため、刺青の梟に生々しい動きが生じている。
 
  我が顔の最も嫌いな口元と同じを薄くあけて父死す
                          谷口美生

 「同じを」の重い音感がよく、愛憎の混じった父への思いが滲みだしている。

  葉の影をみつめるような恋ありき夏にソヨゴの葉は揺れていて
                               松本志李

 上の句の比喩がとても新鮮。「ソヨゴ」という木の選びもいい。「葉」が二回使われているのは、この歌ではややくどい感じがする。
 
  跳び箱は出席簿順に跳ぶテスト 玲子さん跳ぶ 次、はい、私
                               今井由美子

 リズムに躍動感があり、自在な歌だが、一連から玲子さんの挽歌であることが分かる。それを知ると印象がずいぶん変わる。

  雪の音を補聴器つけて聴きおれば耳いっぱいに雪が弾ける
                             竹内多美子

 補聴器で雪の音を聞くという状況に独自性がある。結句の「雪が弾ける」から、音の勢いがいきいきと感じられる。
 
  おおらかな冬のひかりがお茶漬けの海苔をきらきらきら朝帰り
                              中森 舞

 お茶漬けの海苔が光っているだけなのに、生きている喜びのようなものが伝わってくる。下の句の不思議なリズムに惹かれる。
 
  思いきり君を忘れてしまおうか中学校の校歌のごとく
                           和田かな子

 ユニークな比喩だ。すぐに忘れそうだが、ずっと残る感じもする。その微妙さがいい。
 
  さいころの六しか出ないすごろくのように過ぎゆく雪のない冬
                               青海ふゆ

 これも比喩が清新。雪のない冬は早く終わってしまい、何かを失ったような感じがする。
 
  連れ立ちて行きし図書館いつの間に病の本を父は借りしや
                             俵山友里

 娘に気づかれないよう、自分の病気を調べている父。淡々とした中に、切なさがこもる歌。
 
  四ヶ月点滴だけの看取りなり りんごの芯に母は生(な)りしや
                              松山良子

 下の句はさまざまな解釈ができるが、衰えた母の姿が、まざまざと迫ってくる感じがした。

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