百葉箱2019年12月号 / 吉川 宏志
2019年12月号
こしひかりをこひしかりとぞ読みまがふ夏のしつぽの消えゆくゆふべ
石原安藝子
上の句に驚かされるが、風雅でもある。下の句もうまく付けた感じで、新米のころの季節感をじつに巧く捉えている。
エスカレーター振り向きざまに八月のいつ見ても光りたての眼球
大森静佳
下の句の「光りたての眼球」という表現に迫力があり、なまなましい。上の句の言葉のつなぎ方は、工夫がありつつ、勢いもあって、情景が立ち上がってくる。
予報になき雨が西からやつてきてバケツの中の肥料をぬらす
中林祥江
下の句の具体が効いていて、農家の現場感が伝わってくる。「西から」という言葉で、空の広さも感じられる。
降りはじめの一粒ほどの君の死が白雨となりてわれを叩くも
大河原陽子
訃報を聞いた瞬間は実感がなかったのだが、後になって打ちのめされたのだろう。雨の比喩によって、他者の死に浸蝕されていく自分が、映像的に描かれている。
タクシーの窓に額を押しあてる夕焼けの出ない空でよかった
瀧川和麿
上の句の動作で、こらえている悲しみが身体的に伝わってくる。「夕焼けの出ない空」という表現によって、かえって赤い光が見えてくる感じがする。
石を塗るときに絵の具は伸びにくく地蔵を夏の一日粧う
吉田 典
地蔵盆のころ、顔を白く塗られた石仏を、ときどき見かける。石の肌には絵の具が伸びにくい、というのが、実際にやってみないと発見できない感覚表現といえよう。
ペルシアのチャークチャークは水の町 しずくの音をその名に持ちて
仲町六絵
「チャークチャーク」の響きが魅力的。すっきりと作ってあり、歌全体に清涼感がある。
大水害の芥は高く積まれけり被爆者焼きしこの校庭に
前田 豊
事実だけを詠んでいるが、同じ校庭に、原爆の記憶が重なり、沈痛な一首となっている。
鵺(ぬえ)に似たぼくのこころできみを抱く 鵺は意外とかはいいと思ふ
宮本背水
自分の中のわけのわからない感情を、不思議なねじれによって歌っている。一種の自己愛だが、醜さも冷静に見ている眼がある。
閉会後部屋に戻りし人々の灯に照らさるるパティオの芝生
大江いくの
全国大会を詠んだ歌なのだろう。パーティーの後、皆がホテルの部屋に帰り、中庭がほのかに明るくなる。その描写だけで、しみじみとした静けさが感じられる。
男って子供よねっていうセリフじつは男が作ったのでは
大和田ももこ
上の句はよく言われることだが、その言葉の中に隠されている、男性にとっての都合の良さを、鋭く見抜いている。
ゆるゆると泳ぎてゐたる軽鴨がアメンボ一つ 二つと食ひぬ
酒本国武
アメンボを食べているところが妙に怖い。一字あけから、パッ、パッと食べる様子が見える。