八角堂便り

ストックホルムにて / 前田 康子

2019年2月号

 これを書いている二〇一八年十二月、本庶佑さんが羽織袴姿でノーベル医学生理学賞を受賞された。また昭和二十四年、日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹は「ストックホルムにて」と題し
  ストックホルム、グランド・ホテルの夜を深み馬蹄ひびきて消えて静けき
  思ひきや東の国にわれ生(あ)れてうつつに今日の日にあはんとは
など八首の歌を詠んでいる。二〇一六年に講談社から『湯川秀樹歌文集』として出された文庫のなかに歌集が収められている。歌集は『深山木(みやまぎ)』といって一九七一年、湯川が京都大学の退官記念として出版したものだ。湯川は川田順や吉井勇らと歌誌「乗合船」の同人として一時期詠んでいたこともあり、四七三首をおさめた本格的な歌集となっている。このノーベル賞受賞の歌二首などは、あまり興奮せず、どこか控えめでもある。一首目は「馬蹄」が時代を表しているし、二首目も素直な喜びが静かに詠まれている。
  縁側にランプのホヤを掃除する少年の日は遠くはるけし
 京都の寺町、染殿町にあった家を思い出し詠まれた歌。「ランプのホヤ」に古き時代を感じる。
  吸入の酸素はなほも泡だてど息ふきかへすすべはあらなく
  弟がもしやゐるかと復員の兵の隊伍にそひて歩みし

 一首目は三十六歳の時に実母を亡くした歌。リアルな様子が見えてくる。二首目は湯川は五男三女の三男として生まれたが、そのなかで戦病死した末の弟を詠んだ歌。戦後二年経ってから亡くなった事を知らされたという。
  天地(あめつち)は逆旅(げきりよ)なるかも鳥も人もいづこよりか来ていづこにか去る
 この歌に湯川の思想がよく出ている。これは李白の「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」からとられている。鳥も人も、ここに仮住まいしているだけのはかない存在であることをしみじみと思っている。
 湯川の歌を詠みながら思い出したのが同じく京都で詠まれた、哲学者西田幾多郎の歌である。西田は湯川より三十歳以上年上であるが鎌倉で二人が会った場面なども歌に、湯川は詠んだりもしている。
  しみじみとこの人生を厭(いと)ひけりけふ此頃の冬の日のごと
  われ未だ此人生を恋ゆるらし死にたくもあり死にたくもなし

 『西田幾多郎歌集』より引いた。妻の病と死、息子の死、子供たちの相次ぐ入院などがあり京都での西田の生活は苦難に満ちたものだった。苦しみが切々と詠まれている。二人の偉人の歌からは偉業とは別の等身大の姿や生身が見えてくる。京都という地に私が住んでいる故、さらにそれは、身近に感じられるのだと思う。

ページトップへ