百葉箱

百葉箱2018年12月号 / 吉川 宏志

2018年12月号

  車の跡を灰色に残すアスファルトためらうことなく猫は座った
                               中西寒天 
 雨の後、駐車していった車が出ていった場面だろう。何でもないことを歌っているのだが、モノトーンの風景写真を見るような味わいがある。歌会だと「ためらうことなく」が、言い過ぎではないか、と議論になるかもしれない。ただ作者は、人間の視線とは無関係に生きている猫の行為がおもしろかったのだろう。
 
  オリオンは捥ぎたきほどの近さにて全停電の街に架かれり
                             栗山洋子 
 北海道の大地震で全停電になったことを詠んだ歌が、今月いくつか見られた。その中でもやはりこの歌は印象的で「捥ぎたきほど」から、星の明るさや大きさが実感的に伝わってくる。
 
  ユーカリが倒れているよと言う子らにユーカリなんだと君は近づく
                                 吉口枝里 
 これは台風が過ぎた後の光景だろう。「ユーカリ」の繰り返しが効いていて、台風の後の空間の明るさも感じられるのである。植物にあまり詳しくないらしい「君」の驚いた反応が、いきいきと見えてくる一首。
 
  くろぐろと波線(はせん)は並木の絵に揺れて、少年は陽炎を描きたかった
                                 加瀬はる 
 ゆらゆらとした陽炎を絵に描きたいのだが、それを表すすべがなくて、黒く汚れた絵になってしまったのだ。見たものをそのまま描けないさびしさや悔しさ。それは短歌の場合でもあるだろう。表現の原点を感じさせるような歌である。
 
  順番を守れとしかられ慰霊碑の観光客に父は並びつ
                          栗栖優子 
 一首だけだと分かりにくいが、父は広島の地元の人で、観光客の後で祈っている場面のようだ。父の慰霊の思いが、踏みにじられたような痛みがある。決して巧みではないが、せつせつとした思いが込められており、こうした歌も大切にしたい。

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