青蟬通信

明治四十三年、水害の歌 / 吉川 宏志

2018年11月号

 今年は洪水や台風の被害が日本の各地で生じ、「塔」にもそれに関する歌が多かった。やはり身近に体験した人の歌からは、なまなましい恐怖感が伝わってくる。
 短歌史的に見ると、水害をテーマとした歌が本格的に作られるようになったのは、明治四十三年八月の関東大水害が嚆矢であるように思う。梅雨前線と二つの台風が重なり、利根川などの多くの川が氾濫して、七百人以上の死者が出た。
 このとき伊藤左千夫は、家財をすべて水に流されている。ただ、家族と、飼っていた乳牛は、何とか避難させることができた。
  水害ののがれを未(いま)だ帰り得ず仮住(かりずみ)の家に秋寒くなりぬ
  闇ながら夜はふけつつ水のうえにたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ
 一首目は、避難先から元の家に戻れない心細さを詠んでいる。二首目は「牛叫ぶこゑ」が不気味に耳に残る。斎藤茂吉は「こゑ」を繰り返す技法に注目している。佐千夫は、当時の新しい技法も駆使しつつ、自己の体験を、リアルな言葉に残そうとしたのだった。
 若山牧水が発刊した「創作」の第七号には、前田夕暮が「洪水のあと」十五首を発表している。佐千夫は当事者の立場で歌っているが、夕暮はドキュメンタリーのように、災害の現場を取材して歌う。
  濁りたる仮避難所の群衆のなかにたゞよふ赤児泣くこゑ
  路ばたの樹立のもとに握り飯くらふ女のひと群をみぬ
  女あり出水に赤児とられしや大川ばたに水をながむる
 避難所に響く赤子の声、握り飯を食べる女、茫然と川を見る女。災害ののちの風景を、夕暮は冷静に観察している。百年以上前の出来事なのだが、疲弊した人々の姿が目に見えてくるようだ。
  水さわがずふかぶかと行く出水後(でみづご)の大川端に啼く家鴨あり
 こんな歌もある。洪水の後、川は何事もなかったように平穏に流れている。アヒルはただ暢気に鳴いている。そんな明るい光景を見ると、かえって人間の苦しみが身に沁みてくる。人間はさまざまなものを抱えて生きているから、それを奪われたときには激しい痛みや悲しみを経験せずにはいられないのだ。
 こうした歌を作る一方、夕暮は、見ることの残酷さを意識している。
  洪水をみにゆく人の眼の底にけもののごときかげたゞよへる
  同胞をみる眼にあらず避難者のいくむれをみる群衆の眼は
  行くところ出水にあひし同胞のひとみのいろに心おびゆる
 被災地を見にゆく野次馬の目には好奇心があふれており、被災者を自分たちと同じ人間だと感じることができなくなっていると嘆く。そして、被災者に見返されたとき、自分も、他の群衆と同じなのではないか、と「心おびゆる」のである。
 これは現在でも切実さを失っていないテーマであろう。当事者でない者が、現場を見に行くことも大切なことだ。現場の苦しみを他者に伝える役目を果たす人々も、必ず存在しなければならない。ただそのとき、自分の中に、好奇心のようなものがあるのではないか、見ることへの野心があるのではないか、と自ら問い直すことは、非常に重要なのだ。それが失われたとき、見ることのみが暴走してしまう。前田夕暮はその危うさに、確かに気づいていた。
 さて、「創作」の誌面を見ると、夕暮の歌と同じ見開きに、若山牧水の歌も載せられている。その中に、
  洪水(おほみづ)にあまたの人の死にしことかかはりもなしものおもひする
という歌があって驚かされる。これはおそらく偶然ではなく、夕暮の歌を意識したものだろう。社会にあえて目を背け、自分の恋のほうが大切なのだと、やや露悪的にアピールした歌だと考えられる。
 現代短歌でも、他国の戦争よりも自分の生活が大事だ、というような歌はしばしば作られてきた。社会の動向に安易に追随せず、自分を貫きたい、という姿勢も、力を持つことがある。その原型となる歌がこの時点で生まれている。そのことを、私はとても興味深く思うのである。

ページトップへ