八角堂便り

『埃吹く街』の東京 / 花山 多佳子

2017年9月号

 大辻隆弘の講演集『子規から相良宏まで』をおもしろく読んでいる。中身の充実した講演ばかりである。
 この中に「高安国世と近藤芳美」があって、平成二十六年の現代歌人集会秋季大会での講演なので、塔の人は多く聞いていることと思う。戦後すぐからの近藤芳美と高安国世の交流がこまやかに検証されていて、検証じたいが胸に沁みる物語になっている。
 その初めのあたりで、大辻は、昭和二十二年に近藤芳美、加藤克己らが結成した新歌人集団に誘われた高安が初めは「あまり関わりたくなかったようです」と述べ、東京にいない引け目、東京に対する憧れ、疎外感といった心理に言及していく。そこで引かれているのが、角川文庫『近藤芳美歌集』の高安国世の解説の文章である。
  「東京の廃墟、バラックの闇市に砂埃の吹きつける東京の街衢は、悲惨さの陰に
  無限の可能性を含んで、私たち若者にとっては新生の胎動を感じさせるわくわく
  させる何者かであった。」
 『近藤芳美歌集』は私も持っていて、高安国世の解説もむろん読んでいたのだが、この部分に目を止めていた記憶がない。今、東日本大震災ののちだからか、この文章が妙に迫ってきた。戦争の傷を全く負わなかった京都にいて、東京の廃墟に抱く思いは、疚しさとか傷みでなく新生の胎動への憧れであり、取り残されるような焦りであり疎外感だったとは。
 文章はこのあと、次のように続く。
  「私は実は戦後昭和二十三年まで東京の土を踏む機会がなかったのだが、「埃吹
  く街」が本になるより前、月々発表される近藤芳美の歌から、私はすでに東京を
  知悉していた。その物質面も精神面も、恐らく近藤の歌を通して私たち自身のも
  のとなっていたのだと思う。」
 そして『埃吹く街』の歌をあげている。
 ・いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ
 ・夕ぐれは焼けたる階に人ありて硝子の屑を捨て落すかな
 ・降り過ぎてまたくもる街透きとほる硝子の板を負ひて歩めり
 ・水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中
 高安が「知悉」した東京は、こういう近藤の歌を通したものだった。東京を見ていない高安のみならず、東京に居る人も、戦後の東京の空気を最も感じるのが近藤の歌、という定評があったようなのだ。一見して、設計されたような混濁のない美しさ、構図を感じる。人はそれをリアルと思いつつ、そこに見出したいもの、願望を見ていたのだろう。「理」がカタルシスになったのだと思う。

ページトップへ