青蟬通信

憲法と短歌 / 吉川 宏志

2017年8月号

 七月八日、大阪で「憲法・ことば・短歌」という小さなシンポジウムを行った。歌人で、成蹊大学の憲法学者である中沢直人さんの講演と、『キリンの子』の鳥居さん、中沢さん、そして私の鼎談という二部構成。参加者は五十数名であった。
 中沢さんの話で心に残ったのは、憲法の言葉自体は無力で、それが効力を持つためには国民の中で「内面化」される必要がある、ということだった。これは少し難しい表現で、会場から質問も出ていたが、私の理解では、次のようなことだと思う。
 私は、『昭和万葉集』第七巻からこんな歌を引用して持っていった。
  選挙権与へられても食へざれば仕方がなしと妻の歎(なげ)かふ
                                 筏井嘉一 
  選挙権より一合(がふ)の米を与へよと主婦ら電柱にポスターを貼(は)
                                 中津賢吉 
 婦人が参政権を得た昭和二十一年に作られた歌である。戦後の貧困のために、今日食べる米も手に入れられないという状況だった。ただ、そうであっても、選挙権より米、という言葉には、かなり衝撃を受ける。
 厳しく苦しい時代を変えるためには、国民のそれぞれが選挙権を行使していくほかにない。選挙権の貴重さを、現代の私たちは常識として理解している。いくら目の前の食料が大切でも、選挙権をそれと比べることはできない。この二つは全くレベルが違うものなのだ。
 しかし、この当時は、そうした発想にはならなかった。「選挙権」が言葉だけの存在になっており、「内面化」されていなかったのである。おそらく、何回もの選挙が繰り返されることで、「選挙権」は国民の中で、血の通った言葉になっていったのだろう。
 言葉は、単に書かれた文字であるだけでは無力で、その言葉を社会が実感的に受け入れたとき、初めて社会を変えていく力を持つ。中沢さんも繰り返し述べていたが、憲法とは、とても不思議な存在なのである。
  九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ
                                『極圏の光』
 中沢さんの歌を一首だけ紹介しておきたい。解釈しようとすると、なかなか難しい歌である。私たちは、憲法九条を表面的には理想としていながらも、「それぞれの傘」の中では、「やはり武力も必要なのでは……」と秘かに考えていたりする。敗戦直後は、被害を受けた多くの人々が、「戦争放棄」を一致して納得していたはずなのに、いつしか別々のことを考えるようになっていく。「それぞれ」に分離していく「寂しさ」を歌っていると、私はこの一首を読む。
 日本国憲法が公布されたのは昭和二十一年十一月三日で、翌年の五月三日に施行された。何人かの歌人の歌集を見てみたが、意外にそれを詠んだ歌は少ない。もう少し調べる必要はあるが、この沈黙は興味深い。
  たたかひにやぶれて得たる自由をもてとはにたたかはぬ国をおこさむ
                              土岐善麿『冬凪』
 これは前述の『昭和万葉集』にも収録された歌だが、「たたかひにやぶれて得たる自由」が痛切で――また、第三句の字余りに重さがあり――、やはり印象に残る一首だと思う。
 一方、斎藤茂吉の『白き山』には、次のような歌があった。
  萬軍(ばんぐん)はこの日本より消滅す浄(きよ)く明(あか)しと云はざらめやも
 「清らかで明るいと言わないことがあろうか(清明なことだ)」と歌っているのだが、どう見ても、逆の思いが籠もっていると感じる。アメリカによって武装解除させられたことへの陰鬱な怒りが滲み出している。歌は、作者の内面がどうしても現れてしまうものなのである。
  十一月三日小山(こやま)にのぼりけりかなしき國や常若(つねわか)の國や
 同じく茂吉の歌。十一月三日は、戦前は明治節(明治天皇の誕生日)であった。その日に、新憲法が公布される。それは明治以降の日本の近代が否定されたことを意味していた。時代が終わってしまった悲哀と、再生を願う思いが混じり合った一首と言えるだろう。日付に重層的な意味が込められている。茂吉の歌は、細部に非常に複雑なものが潜んでいることを、改めて感じたのである。

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