青蟬通信

高江 / 吉川 宏志

2016年9月号

 八月に沖縄に行ったとき、今は高江を見たほうがいい、という話を何度か聞いた。ただ、かなり山奥にあり、沖縄でも実際に行ったことがある人は少ないらしい。また、道路が封鎖されていて、今は行けないかもしれない、と言う人もいた。
 こんなときインターネットはとても便利で、名護(なご)から高江まで車で連れていってくれる人がいると分かった。もともと三重出身で、沖縄に住むようになった五十歳くらいの男性である。私と、那覇から来た若い女性とが乗って、車は出発した。エメラルド色の海が、車窓に見えはじめる。今日も検問があったのだが、午後には解除されたという。
 那覇の女性は、殴られている人たちをテレビで見て、どうしても行きたくなった、と語った。高江に行くのは初めてだそうだ。もの静かな人だが、ときどき鋭い声になる。
 全国的にはあまり報道されていないのだが、沖縄の北部にある高江には、米軍オスプレイのヘリパッドが造られようとしており、ずっと反対運動が行われている。
 抗議のためにしばらく工事が止まっていたのだが、沖縄の参議院選で与党が敗北した直後に、工事が再開された。その露骨な行為には、多くの非難の声が上がり、反対運動に参加する人は増えていった。
 七月二十二日、反対派約二〇〇人に対して、約五〇〇人の機動隊が強制排除を行い、その折に激しい暴力が振るわれた。その様子は映像に撮られ、テレビでも放映されたため、衝撃を受けた人は多かったという。インターネットで見ることができるので、可能なら見てほしい。
 車に乗って約一時間。車窓から、広大なパイナップル畑が見えるようになった。このあたりは赤土で、青空の下、目に沁みるように鮮やかだ。のどかな情景なのだが、ときどき機動隊の装甲車とすれちがい、ものものしい空気が漂う。
 着いたのは、大きな青いテントの前だった。後で知ったのだが、七月の機動隊の排除の後、やがて工事のために使われるだろう山道に、大きなテントを作り、多くの人々が寝泊まりしているのだった。百人くらいは眠れそうだが、今いるのは、二十人くらいである。工事のトラックが来るのは早朝なので、昼のあいだは、のんびり休憩しているらしい。このテントは作られてまだ一週間ほどらしく、電灯をつける作業などをしている。私もその手伝いをした。
 近くにいる年配の女性たちに話を聞くと、宜野湾(ぎのわん)市からグループで来ているそうだ。「アメリカのオスプレイなんだから、自分の国で訓練をすればいいんですよ」「京都から来たの? 京都あたりにこんなヘリパッドを作ったら、みんな大反対でしょ。沖縄は差別されているとしか思えない」といった話を次々に聞く。どれも、本当にそのとおりだと思う。
 よく、沖縄の基地は防衛のために絶対必要だ、と言う人がいるのだが、高江のヘリパッドは訓練場であり、そうした「防衛」とも無関係なのである。「沖縄は差別されている」という感情が、沖縄の人たちから生まれるのも当然なのではないか。
 蒸し暑いテントから出て、密林の奥に続いている山道をしばらく歩いた。ハブもいるらしいので、びくびくしながら、じっとり湿った土を踏んでゆく。沖縄戦では、こんな山道を逃げまどった住民たちがいたことを思う。あたりには誰もいなくなり、草や木の濃密な気配だけが、私の身体に纏わりついてくる。
 私は旅行者なので、夕方には那覇に戻らなければならない。今日の夜もずっと残って、抗議運動を続ける人たちには申し訳ない気分になる。ただ、帰り際に「見たことを、ぜひ誰かに伝えてください」と言われた。インターネットで情報が伝わることで、最近は若い世代の参加が非常に増えているのだそうである。
 沖縄の問題については、いろいろな考えをもつ人がいるだろう。ただ、マスメディアのあまり多くない情報によって、偏った判断をしている人も少なくないのではないか。実際に見たり、詳しく調べたりして、自分で書く。それが大切なのだと思う。書くことの意味を、最近よく考える。

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