八角堂便り

『塔一九七六年十一月号』 / 山下 洋

2011年10月号

八角堂便り 第三十四便

『塔一九七六年十一月号』
山下 洋  

 わたしの本棚の何段かを占めている『塔』。その中で最も古いのは、一九七
六年十一月号である。 学部を変わって、農学部の大学院へ入学したのがその
年の四月、故工藤大悟君と知り合ったのもその頃。つまり、半年後には、彼から
『塔』を貰っていたことになる。まだ、短歌をつくりはじめてはいなかったし
(というか、ほとんど読んだこともなかった)、京大短歌会の歌会へ参加する
ようになったのももう少し先のことである。

 ただ、実験の合間などに学生控え室へ遊びに行くと、広辞苑を脇に置いて自
作の推敲を繰り返している彼の姿を目にすることが、しばしばあったことは確
かだ。自分が関心を示したと思ったのだろうか。この号以後も、何回か『塔』
をいただいている。

 さて、その十一月号、全四〇ページ(ちなみに今年の七月号が二五二ページ。
当時の半年分の厚みがある)。出詠者は八十二名、これも現在とは比べものに
ならない。表紙は、ご存知のとおり須田剋太画伯。目次が1ページ目の下半分
だけに収まってしまうので、上半分には毎月、高安国世訳のリルケの詩が掲載
されていた。
 この号では、〈みずからの内部へ葉を落とす森よ、〉に始まる「パリ、一九
一三―一四」の一節。〈…ああ、/涙にくれておまえの中を通って行くひとり
―/その人の友となっておくれ、…〉という美しいフレーズにつながってゆく。
 編集後記では澤辺さんが次のように書いておられる。「…要は自分の人生に
おいて短歌と関わり合ったことの意味を、もう一度自ら問い直してみてはどう
だろうということだ。…自分と短歌(詩といってもよい)との関り合いの、一
ばん根源へ向けての問いかけ―今の塔にとって大切なこと、必要のことだと思
う。…」まだ短歌に関わっていない者にも十分に通じるようなインパクト、迫
力があった。 

 そして、高安さんの「〈現代〉短歌のことなど―塔夏期大会講演筆記―」。
「…初めから全体を目指すというのではなくて、一回きりの個別性をとことん
までつかまえることで普遍性を獲得するのが詩歌の本道ではないかと思う。…」
と述べられているのが、いま読み返してみても印象深い。

 歌も何首か引こう。
  
  秋日ざしの中に漂う蜂見えてかそけき風にのるとき迅し  高安国世
  
  コンビナートの音底ごもる四階に娘はねむりそのみどりごねむる 
                              三谷美代子

  列島に地震(ない)過ぎしのち浦々のオイルタンクの中のさわ立ち
                              澤辺元一

 同じ所に長くいるのが苦手な人間なので、二年後に入会し、そののちずっと
居させてもらうことになるだろうとは、ちっとも考えていなかった。三十五年
も前の話である。

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