八角堂便り

新かな旧かな(5) / 花山 多佳子

2011年12月号

八角堂便り   第三十六便

新かな旧かな(5)
花山多佳子 

 去年の十月に詩歌文学館で「詩歌のかな遣い―「旧かな」の魅力」というシンポジウムが開催された。私は行かれなかったが、先日、篠弘さんから、記録をまとめた冊子をいただいた。

 シンポジウムは篠弘の司会で、松浦寿輝(詩人)、武藤康史(評論家)、小川軽舟(俳人)、永田和宏(歌人)というメンバーで、縦横にラフに旧かなの魅力を語り合っている。聞きに行った方もおられるだろう。とてもおもしろい。

 その中で「いる」と「ゐる」の表記について、話題が盛り上がっていて、私も関心あるところなので興味深かった。「言ひゐき」「見をり」が新かなだと「言いいき」「見おり」になってしまう違和感。同時に、口語脈での「ゐる」の視覚的魅力の話。たとえば松浦があげた吉原幸子の詩の「ああ こんなよる 立ってゐるのね 木」の「ゐる」というところがとてもかわいくて魅力的」という発言。篠のあげる山崎方代の、口語文体の歌の「こほろぎが御膳の中に住みついて穴からひげをのぞかせてゐる」の「ゐる」の噛みしめているような感じ。そして永田が、旧かなにしたときさっそくつくってみたという「泣いてゐたのは知つてゐるぜとついてきて畳にこぼれてゐるゐのこづち」。「ゐを四回も使って喜んでいるわけです。いかにも初々しい旧かなデビューでしょ」と語る。

 なるほどと思ったのは、従来の和歌では「ゐる」という言葉はほとんど使われないからだ。「ゐ」という字がまず出てこない。「くれなゐ」「かもゐ」と名詞はたまに出るくらい。明治に入ってもあまり無く、子規にはあるがたいてい「居る」と漢字を使う。ここで際立って「ゐ」が出てくるのは斎藤茂吉の『赤光』である。

  屋根踏みて居ればかなしもすぐ下の店に卵を数へゐる見ゆ
  たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり

と「ゐ」のオンパレードなのである。和歌を読み慣れている人には、さぞ異様に見えたに違いない。「数へゐる」「ゐたりけり」など、和歌用法に無いと思う。

 万葉集に例えば

  巻向の穴師の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつぞ来し
  みさご居る洲に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむ後は逢ひぬとも

などある。茂吉は当然、万葉集から摂取したのだろうが、その際、文語でも一首全体が口語脈っぽくなっていて、そこに「ゐる」が呼び込まれて妙なインパクトになっている。

 万葉集では「居」とむろん漢字であるし、また「雲居」という言葉にあるように、そこに静止して動かない存在という意味がもともと在った。茂吉の「居」と「ゐ」の書き分けには、何かそういうことが意識されているだろうか。

 「ゐる」はむしろ口語脈の中で、旧かな表記が積極的に遣われてきた言葉なのだろう。言葉の表記の落差、視覚のインパクトはつねに刺激だったのである。

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