八角堂便り

歌の底ひ⑤ / 池本 一郎

2013年5月号

八角堂便り―――第五十三便

田舎暮らし断簡

歌の底ひ⑤

池本 一郎

水の面を過ぎゆく風にうらがへる雌

雄同体田螺さびしも

『夏・二〇一〇』 永田和宏

田螺や蜷はかつてよく食べたりしたが、

今はもう珍しい。雌雄同体が核心。だか

ら「さびしも」と。少し前に原克則

「赤蚯蚓雌雄同体土の中愛恋苦悩するこ

とありや」(『星月夜』があった。漢宇

多用の戯画ふうの作りで、これは蚯蚓だ

が雌雄同体に発した歌。自分の体内に異

性がいるとは、変だし驚く。悩みはない

かも、でも面白かろうか。

千代國一「情とげし蝸牛二つが別れゆ

く石になき雨はれゆけり」(昭25 『鳥

の棲む樹』)は忘れ難いが、いつか私は

懐疑心を抱くに至った。蚯蚓や蝸牛は雌

雄同体の生き物。情交することがあるか

と。私は田畑でつるんでいる蚯蚓や重な

り合う蝸牛を日頃よく見る。学者に聞け

ば早いが、科学的に否定されたら、幻滅。

苦のないことより詩の真実こそいい。

古びたる火鉢に残る灰まぶし九十三

の姑馬鈴薯植ゑる

「塔」嶋寺洋子

馬鈴薯(この名の由来は?)の植付け

は、種芋を切ってをまぶす。誰もこの

定法通り。風呂をたく私に灰の所望があ

る。私も父祖にならって灰をまぶした。

所が、数年まえ権威ある農業誌に中央

の専門家がいわく。「灰は湿気をぶので

腐りやすくなる。灰はつけないこと」と。

何だ手間暇かけて逆効果の不合理をやっ

ていたのか。先祖代々。

村の寄会いでこの話をすると、へー

キョウサメーなと一蹴。やはり灰はもら

われている。馬鈴薯の花を摘み取るとか、

田舎の定法は理に適うことが多いが、灰

まぶしは不合理の最たる一つである。

継いでゆく数と思へばさびしくて鰯

に七つある胴の星

『羽音』朝井さとる

数に対する興味や関心の強いのは私だ

けでない。花弁や猫のひげや、金次郎の

背負う薪の本数を数える軟まである。

鰯の七つ星もなかなか。誰もがその存

在には気づいていたのだ。七つの数もだ

が、数えたその行為に敬服する。上には

上がある。どんなもんだと言ってないが。

身辺の自然や暮らしで気づく驚きや不

思議の数々。七星天道虫、ヒシクイ鴨の

嘴の先の黄、ギフ蝶の後翅の赤斑等々。

鰯の七つ星もその一つだが、それがどう

した、では終わらない。肝要なのは、「継

いでゆく数と」思う展開なのだ。

七つ星は実にシンプルだが、例えば雄

孔雀の眼状斑の模様にもまして、生物種

のもつ固有性に考え至る。全体が完

逸脱はありえない。そんな思索から認識・

存在の実相へ至ると言っていい。種は種

として生きるほかなく、それは寂寥相に

通じていくのである。「さびし」は単に

文学上の修辞でも一過性の情緒でもない。

しっかり根っこをもった実語だ。

 

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