八角堂便り

柘榴の花咲くころ / 山下 洋

2012年7月号

八角堂便り  第四十三便

 五月も終わりに近づき、街角のあちこち、そこここの家々の庭先に、柘榴の花を見かける時期となった。緑の葉群のなかに、点々と朱を噴くような花。その花を見上げるとき、ふっとこころに浮かぶ一本の木がある。

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 一九七七年から作歌しはじめた自分の作品が、最初に本に載ったのは「京大短歌」11号(七八年四月発行)。その年に塔に入会している。以前にも書いたことだが、自ら短歌形式を選んだというよりも、誘われるままにはじめたというのが実際なので、行きがかりのまま、成り行きで入会したという感じ。表現形式や所属などについて、真剣に考えて行動されてきた方々からはお叱りを受けてしまいそうである。

 入会当時、まだ学生だったので、すぐに校正や発送のお手伝いをさせていただくようになった。校正・発送の作業は古賀泰子さんのお宅にて。印刷所も古賀さん宅のすぐ傍にあった。田中栄さん、藤井マサミさん、澤辺元一さん、井上とし枝さん、多田總夫さん、木枝泰子さんなど、多くの皆さんとご一緒させていただいた。校正原稿は、その日に来られる人数分に、あらかじめ古賀さんが分けてくださっていて、いつもてきぱきと作業が進んだ。

 発送は第三種郵便物として。往々にして遅くなるため、「毎月十五日発行とゆうことで許可もろてるねんけどな。」と田中さんがこぼしておられたことを思い出す。封筒の宛名は手書きで、福森葉子さんたちのお世話になっていると高安先生が編集後記に記されていたことがあったと思う。封筒詰めしたあと、郵便番号順に仕分けしておいて欲しいと郵便局から要望があったので、番号順にする作業。大きなバッグと、これも大きな唐草模様の風呂敷に小分けして、三、四人で東淀川局へ。行きはタクシーを拾って、帰りは徒歩で。ページ数も部数も少なかったからできたことであろう。

 作業のあとは、古賀さんの手料理とビールのご相伴にあずかった。それが楽しみで毎回出掛けていたのかも知れない。その折り、田中さんや古賀さんから、戦後アララギを経て塔発足にいたる経緯など、よく聞かせていただいた。

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 古賀さん宅の玄関先に大きな柘榴の木がある。ある日の校正ののち、「実を採ってください」と言われ、玄関の屋根に登り、沢山に実っている果実に手を伸ばしたことがある。
  坂田博義・黒住夫妻・山下洋わが庭の柘榴採りくれし人
と、二〇〇八年一月号の塔に古賀さんが詠んでくださった。あの柘榴の木にも、いまごろ、いっぱいの花が咲いているだろうなあと思うのである。

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