八角堂便り

三度目の出会い / 小林 幸子

2012年4月号

八角堂便り  第四十便

三度目の出会い 
小林 幸子 

 二〇十一年十一月二十六日、鳥取県歌人会の大会で、前川佐美雄の鳥取への疎開と戦後の日々について講演する機会を頂いた。佐美雄は昭和二十年四月に家族を八頭郡丹比村に疎開させ、自身も毎月訪れ、終戦後も五ヶ月を過している。

 疎開先は「日本歌人」の弟子、杉原一司宅の二階であった。杉原一司は、戦後まもなく、同人誌「メトード」を塚本邦雄と発行し、絶大な影響を与えたことが、塚本によって語られているが、歌集を残さず、鳥取でもほとんど知られていない。歌集『積日』の佐美雄の鳥取の歌と杉原一司について紹介したいと考えていた。

 現在は「八頭町南」になっている丹比駅前の杉原家を初めて訪ねたのは、二〇〇五年の五月だった。現鳥取歌人会の会長である北夫勲氏の案内で、池本一郎さんと共に突然の訪問だった。佐美雄を迎えた駅前の桜を見上げて話す令子夫人は、穏やかで温かい人という印象を受けた。

 その翌年の秋、池本さんと福政ますみさんと共に丹比を再訪した。令子夫人は佐美雄の手紙や色紙、写真などを見せて下さり、丹比での日々が浮かび上がってきた。一司についてもぽつぽつと語られ、佐美雄がなぜ奈良から遠い丹比村に疎開することを決めたのか少しずつわかってきた。杉原一司のりりしく美しいこと、何度も写真をながめてしまう。出征中の一司に代わり、佐美雄と家族を迎え入れた苦労は想像できるが。令子夫人はあまり語られなかった。

 それから何度か手紙の遣り取りがあったが、三度目の訪問を果たせずにいた。鳥取での講演を知って令子夫人は、会場に来てくださるという。会場は県中部の海沿いにある琴浦町である。岡山県に近い山間の地丹比から、どうやって来られるのかと北尾さんと案じていると、開会の少し前にみえた。朝八時前に家を出てローカル線を乗り継ぎ一人で来られたという。八十八歳の年齢を感じさせない。

 熱心な聴衆のおかげで講演は無事に終った。前川佐美雄の鳥取での日々を支えた杉原一司と家族のことを知ってよかったと言ってくださる人もあった。
 講演の後、短い時間だったが令子さんと話すことができた。杉原一司を鳥取の人たちが知ってくれて本当にうれしい、との言葉に私もうれしかった。

 私は、その前日に若い人たちの集まる「みずたまり」の歌会に出席していた。そこで、丹比出身の女性から、お母さんが杉原令子さんの小学校の教え子だったと聞いたのである。そのことを令子さんに話すと、「一司が亡くなったあと、二人の子を育てなければなりませんでしたから」と微笑みながら言われた。杉原一司は昭和二十五年五月に、二十三歳九ヶ月で亡くなっている。それから二人の子を育てあげた長い歳月、杉原令子という人の静かなつよさを知ったように思った。

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