「ゐたりけり」の時間認識 / 吉川 宏志
2012年3月号
八角堂便り 第三十九便
「ゐたりけり」の時間認識
吉川 宏志
昨年十二月号の花山多佳子「新かな旧かな(5)」が大変おもしろかった。
花山は「従来の和歌では「ゐる」という言葉はほとんど使われない」と述べ、明治期の短歌にもあまり多くなく、斎藤茂吉の『赤光』(大正二年)になって際立って「ゐる」が出てくるという。
そして結論として花山は「「ゐる」はむしろ口語脈の中で旧かな表記が積極的に遣われてきた言葉なのだろう。」と書いている。私もこの指摘に共感する。
花山は短歌の表記の問題に留めているのだが、ここから〈時間〉の問題系に話を進めることもできるのではないか。あまり紙幅はないけれど、思いついたことを少しだけ書いてみたい。
たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり 『赤光』
この「散りゐたりけり」という言葉に、私たちは非常にインパクトを受ける。単に「散る」のとは違って、重層的な時間が強く塗り込められているのを感ずるのだ。過去の時間に遡って、散る花を見つめている印象が生じている。つまり、自分が現在見ている前から花は散っていたのだ、という認識が「ゐたりけり」には含まれているのである。
この時間の厚みに、読者は衝撃を感じるのだろう。「万葉調」と一口に言われるが、それだけではないように思う。おそらく、西欧語の現在完了形の概念、英語ならhave fallen(散っていた)と表現されるような時間認識も含まれているはずである。文語の表現に、西欧語から翻訳された時間感覚が導入されているのではないか。明治は西欧の書籍が数多く翻訳された時代である。言葉が変化するとき、時間の捉え方もまた変わっていく。
たとえば『徒然草』にも「病みゐたりけり」(第五十三段)という表現があるのだが、この「けり」は伝聞を表す。だから「病んでいたそうだ」という意味になる。古典の中の「ゐたりけり」と同じ語彙を用いつつ、異なったニュアンスを茂吉は表そうとしているのである。
『赤光』と同年に出た北原白秋の『桐の花』が興味深い。前半には「ゐる」はほとんど存在しないのだが、後半になり茂吉の影響を受けはじめたころに、
バリカンに頭(かしら)あづけてしくしくとつるむ羽蟲を見詰めてゐたり
などの歌があらわれてくる。白秋も、茂吉の時間表現の新しさに、敏感に反応していたのではないか、と想像する。
ちょっと細かい話になるのだが、『赤光』を読むと、最初期の明治三十八年の歌として、
戦場のわが兄より来し銭もちて泣きゐたりけり涙が落ちて
が収録されている。非常に早い時点で「ゐたりけり」が使われていることになるのだが、本当なのだろうか。短歌を始めたばかりの段階で、こうした新しい表現を生み出していたとはにわかには信じがたい。『赤光』を編集した時点で改作されたのではないか、と疑念を抱いたのだが、今回は調べることができなかった。