八角堂便り

業平邸のことなど / 山下 洋

2014年10月号

 寺町二条といえば、梶井基次郎が檸檬を買った果物屋のことを思う方は多かろう。しかし、その店「八百卯」は二〇〇九年に閉店、今は何の案内もない。塔会員の方なら、まず三月書房という答が返ってくるだろう。ぼくが同書店に最初に行ったのはたぶん一九七〇年、林静一が「ガロ」に『赤色エレジー』を連載していた頃。歌集ではなく漫画本を見に行ったのだ。「ガロ」や「COM」に作品を発表している漫画家たちの本が品揃えよく並べられていた。歌集を探しに行くようになるのはその七年後のことになる。
 
 さて、三月書房から寺町通を少し北へ上がったところ、墨や書道用具の店「古梅園」の前に石標が立っている。碑文は「此附近 藤原定家京極邸址」。『華氏』に〈酔はさめつつ月下の大路帰りゆく京極あたり定家に遭わず〉の一首がある。永田さんもこの石標をご存知だったにちがいない。
 
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 寺町二条から、二条通をどんどん西へ進んでみよう。御幸町(ごこまち)、麩屋町(ふやちょう)、富小路(とみのこうじ)を過ぎて四筋目が柳馬場(やなぎのばんば)通。そこで右折すれば北へ二筋目の辻の手前に碇ビル(二階に塔事務所)があるのだが、そのままさらに西に直進する。堺町を過ぎて高倉通。ここで曲がって北に上がると、塔の印刷所、創栄図書印刷に辿り着く。
 
 『塔事典』の刊行へ大詰めを迎えた今年の前半、何度も創栄さんに通うこととなった。ゲラの受け取りや、校正の搬入、付録部分および索引の体裁の相談などなど。前述したように事務所から至近距離なので、調べたり確認したりの作業ののちに伺うのにはとても都合がよかった。
 
 職場や自宅から直行せねばならぬときは、天気が良ければ四条から歩いた。初めて歩いたとき、四条高倉から高倉通をまっすぐ上がって行ったのだが、何と高倉御池の交差点、横断歩道がない。東の堺町御池にもないのだった。広い御池通、歩道がなければ渡れない。仕方がないので一筋西の間之町(あいのまち)通で渡ることに。なかなか青に変わらないのであたりを見わたしていると、あったのだ、石標が。碑文は「在原業平邸址」、間之町御池の交差点の南東の角である。
 
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 先週の全国大会、高野公彦さんの講演。子規の〈藤のはなぶさみじかければ〉の歌と『伊勢物語』第百一段との関わりについてお話があった。百一段で、宴に飾られていた藤の花は三尺六寸だったとのこと。とても興味深かったので、翌々日の月曜日、その段を読み返した。驚いたことに、その宴は、業平の兄、行平邸で行われていたのである。果たして、行平邸は業平邸の近所にあったのだろうか。
 
 定家の幻影と永田さんが遭遇した中京(なかぎょう)あたり。ご来洛の折りには、是非そぞろ歩かれたし。業平や行平とすれ違うかも。

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