短歌時評

歌壇は何を問題にしているのか / 川本 千栄

2012年12月号

 昨年一年間の総合誌に「文語口語」の問題が非常に多く取り上げられていた事を踏まえて、私は今年の時評の第一回と第二回を「文語口語」問題を論ずることに当てた。それから約一年が経つのだが、やはり相変わらず「文語口語」問題は総合誌の人気テーマであるようだ。角川「短歌」十月号でも「決定版」と銘打って「口語歌のすべて―短歌の新たな地平へ」という特集が組まれている。

 しかし、一読してがっかりした。議論が何も深まっていないのだ。文語・口語・文語口語混在のそれぞれを良しとする人に各自の立場から論を書かせてそれを載せているだけでは、何人分の論を集めてページ数を増やしても論が深まる訳が無い。それぞれの立場での言いっ放しになるだけだ。せめて立ち位置の違う人を集めて座談会をするぐらいはして欲しい。

 総合誌上で一つの問題提起となりうるものだと感じたのが、「短歌研究」九月号の「詩のことば、短歌のことば」というタイトルで行われた詩人中村稔と永田和宏の対談であった。注目したのは中村の次の発言である。

 中村(…)口語といっても書きことばの口語と話しことばの口語がある。どちらかというと現代詩の口語は書きことばの口語であって、現代短歌の口語は話しことばの口語が多い。(…)

 最初にこれを読んだ時、口語というものを「書きことば」と「話しことば」に分けて考えようとしたところに議論が一歩進んだ感を持った。この対談に関しては、柳澤美晴が「歌壇」、滝本賢太郎が「りとむ」のそれぞれ十一月号の時評で取り上げているように、歌壇的に一定のインパクトがあったのだと思う。

 この中村の発言に続く対談は以下のようだ。

 永田(…)短歌というのは基本的に書きことばのほうが文語になっていて、その中に話しことばが入ってくるということである種のインパクトを与えている。もともと文語というのは現代においてはある種の違和でしかない(…)その中に現代的な話しことばがふっと入ってくることで、そこに二重の違和とでもいったものが挿入されて、強いインパクトが出てくる(…)

 中村 書きことばの口語というのは文語に近いのではないかというご指摘は大変ごもっともだと思いますね。虚を突かれた思いがあります。つまり書きことばの口語というのは、口語と言いながら身構えた表現ですね。そういう意味で非日常的なのですね。(…)

 これを読むと、永田と中村は現代語の書きことばを一つのカテゴリーとして分類しているところは同じなのだが、それを文語と捉えるか口語と捉えるかが違うということが分かる。(次を参照)

    古 語  |  (いわゆる文語)        |
    ————————————————–
    現代語   |  現代の文語(永田)      |  書きことば
          |   書きことばの口語(中村)  |
         ——————————————————–
          |  話しことばの口語(中村)   |  話しことば
           |   口語(永田)          |

 つまり彼らは認識のしかたが違うのだ。中村と永田のたった二人の発言だけでもこのように認識のズレがある。それならばこの問題を論じている人たちは、現在の文語口語問題において、例えばこの図のどの部分を取り上げて「文語」や「口語」と言っているのだろうか。そこにまずズレが無いだろうか。人によってずれている認識を修正しないままに繰り返し同じ問題について言及しているだけではないのか。むしろ、この議論は「文語とは何か、口語とは何か」という定義付けが最初になされてから始めるべきだろう。

 中村の言う「書きことばの口語」は私には言葉の矛盾に思えるのだが、「書きことばの現代語」と置き換えるとストンと腑に落ちる。試しに広辞苑で調べてみた。

 口語①書かれることばに対し、話に用いることば。音声言語。はなしことば。②転じて、
はなしことばを基準とした文体のことば。広く現代語を指すことが多い。

 文語①文字で書かれた言語。もっぱら読み書きに用いられることば。文字言語。書きことば。②日本語では、現代の口語に対して、特に平安時代語を基礎として発達・固定した言語の体系、またはそれに基づく文体の称。

 中村の文語口語の定義は広辞苑の②である。しかし永田の発言からは①の観念が感じられる。このように詩歌の文語口語に対する認識は、辞書的な二つの意味が混在した状態なのだ。

 一例として、前述の角川「短歌」十月号の特集中の大井学選「近現代口語秀歌30首選」という項を見てみよう。そこに葛原妙子の〈みどりのバナナぎつしりと詰め室(むろ)をしめガスを放つはおそろしき仕事〉という一首があったが、これは口語短歌なのだろうか。おそらく「ぎつしり」が現代語なのでそのように分類されたのだろうが、基調は文語短歌ではないだろうか。

 もっと言えば、私は「塔」の時評の一月号で、〈江戸時代には和歌は文語(雅語)で、狂歌は口語(俗語)で作られており、狂歌を視野に入れるならば、口語交じりの文語体の歌や口語の歌は江戸時代からごく普通に存在していたことになる〉という安田純生の説を紹介したが、この説をもっと総合誌の編集者にも知ってもらいたい。口語歌は別に俵万智が始めたものでも青山霞村が始めたものでもなく、江戸時代から作られていたのだ、和歌が短歌になる過程で狂歌を取り込んだと考えれば、短歌の口語化は自然なものなのだ、という広い視野を持ちながら「文語口語」の特集を組んでもらいたい。

 また二月号の時評では品田悦一や川野里子の論を要約し、自分なりに〈(詩歌における)文語とは常に(その時代の)現代語と古語のミックスでしかなくて、規範になる純粋な「文語」がどこかに存在するのではない〉という説を提起したが、そうした見解はどうだろうか。言語の変化は不可逆変化なので、ある時代の古語のみで文を作ることは不可能だ。「詩歌における文語」=「古語」、ではないと私は思っている。

 文語口語の問題が大きな進展が無いまま繰り返し総合誌に取り上げられる背景には、どうも口語短歌が増えるのが、短歌の存続を危うくするのだという漠然とした危機感だけがあるのではないか。それは短歌が文語(この場合は古語)を守ってきたのだ、という自負が歌人にあるからだろう。しかしその前提も疑うべきだ。短歌が文語を守ってきたのではなく、短歌という形式を守るために、歌人たちが長い年月をかけて「文語という詩歌専用のミックス語」を編み出した、と考えてみるのはどうだろうか。もちろん、それが悪いと言っているのではない。むしろ、ミックス語で作られた詩歌が、日常の言語に与えるインパクトを楽しむぐらいの余裕を持ってはどうかと言いたいのである。

              *

 歌壇の問題意識という点では、やはり東日本大震災をどう詠うかということが今年の大きな論点であった。「短歌研究」八月号の篠弘と梯久美子の対談は十月号の時評で取り上げたが、その時書いたこと以外にも、短歌の今後を考える上で参考になる意見が沢山あった。

 まず挙げたいのは、戦争詠と震災詠に近いものがあるという発言である。特に戦争詠の虚構性に関する次の対話には考えさせられた。

 梯 (…)歴史の証言として読まれるかもしれないものをフィクショナイズするということへの抵抗感が、歌人の方たちにもたぶんあるのではないでしょうか。けれども事実を並べただけでは作品たり得ない。(…)事実と作品性のせめぎ合いは、震災をどう歌うかということにも関連してくるかもしれないんですが。

 篠 (…)詩的効果という、つまり痛みなり恐れなりを表現するための詩的イメージアップというんですか、それはある程度、震災も時間がたてば出てくるのではないでしょうか。(…)

 事実と作品性のせめぎ合いが、まさに戦争詠でも問題になっていたのだということは、思い出す必要があるだろう。問題点の在り処が震災詠と同じなのだ。震災詠に関しても、「事実の重みで詠う」と「修辞を使って詠う」という二元論的に論じられることが多かったが、私はそこに終始しているのは不毛だと思う。その二つが消化・融合された作品を志向していく時期に来ているのではないか。篠の言う詩的効果を震災詠にも望める時期ではないかと思う。「短歌研究」九月号で第五十五回短歌研究新人賞を受賞した鈴木博太の「ハッピーアイランド」は、福島在住の作者が震災を非常に技巧的に詠った作品である。この作品が受賞したことや選考座談会での各選考委員の発言を読んでいると、事実と修辞の融合が強く求められている機運を感じる。

 ただ、そうした「どう詠うか」という手法についての論が盛んになされる一方で、「自分はどう思うのか」ということが案外ぼかされたまま、過ぎてきているのではないか。これはそのまま徐々にフェイドアウトしていっていい問題ではないはずだ。核になる思考そのものがもっと問われるべきではないだろうか。

 さらにもう一つ、戦争詠から震災詠を思い起こす発言があった。

 篠 (…)表向きの歌、ようやく我が家に一人、お国のために役に立つ一人を送り出すことができた式の、そういう建前の歌はやたらあったんですね。だけど痛みの歌はなかなか、「息子よ、征くな」式の歌はできなかったと思うんですよ。

 おそらく戦争中は「天皇陛下のために死にます」に類するものが公的に認められた発言であり、それを内容とした短歌は多く作られた。一方「天皇なんてどうでもいい、行きたくない、死にたくない」に類する発言は公的には認められない発言、敢えてすれば非国民と非難されるような発言だったはずで、それを正直に詠んだ短歌は数少ない。だとすれば、今回の震災に対する公的な発言は何で、公的に認められない発言は何なのだろうか。もしかしたらそこに詠うべき点が隠れているのではないか。また、歌人はそれを詠い得ているのだろうか。梯は、戦争中の短歌を後から非難する向きもあるが、私たちの震災詠も未来から見られているのだ、と述べた後こう続けている。

 梯 (…)今度は未来からジャッジされる立場にいる。そうすると、めったなことは言ったり書いたりしないでおこうという考えと、今月思ったこと、来月思ったこと、来年思ったことをそれぞれ恐がらずに残していこうという考え方がある。私は、勇気をふるって、その時々の作品に出していきたいと考えているんです。(…)

 この梯の発言は長く私の心に残った。その時々に思ったことを恐がらずに残していこうという彼女の決意は、短歌作者である私たちも共有し得る思いだろう。

 そうは言っても、今自分がどう思っているのかを恐がらずに書く、その上で未来の読者のジャッジを受ける、これは簡単なようでなかなかできることではない。梯も言っているが勇気がいることなのだ。

 今年は読み応えのある歌集が多く出た。震災詠が歌集としてまとまった形で発表されつつある。そうした震災詠を、時間の淘汰に耐えるか否かも意識しながら読んでいきたい。

  原子炉の辺(へ)に亡くなりし人の名はあらず過労のゆえと書くのみ
                            吉川宏志『燕麦』
  誰か処理をせねばならぬことそれは分かる私でもあなたでもない誰か

  被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは役に立たざる涙流さず
                        米川千嘉子『あやはべる』
  絶句する人になほ向くマイクあればなほ苦しみてことばを探す

  貯金使ひはたして逃げたと額を言へば素早くメモをとる気配あり 
                       大口玲子『トリサンナイタ』
  なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて

 これらの歌はある意味、露悪的な面を持つ歌だとも言えるだろう。しかし、吉川の「私でもあなたでもない誰か」や、米川の「役に立たざる涙流さず」といった一種非情な考え方こそ今詠っておかなければならないものだと思うのだ。

              *

 河野裕子が他界して二年以上の年月が経った。今年も河野裕子を巡る著作が多く出版された。河野裕子『桜花の記憶』(中央公論新社)、永田和宏『歌に私は泣くだらう』(新潮社)、永田和宏『夏・二〇一〇』(青磁社)、河野裕子『体あたり現代短歌(復刻版)』(角川学芸出版)である。それに加えて『歌に私は泣くだらう』を原作として、八月にNHKのBSプレミアムで「うたの家~歌人・河野裕子とその家族」と題されたドラマが放映されたことは記憶に新しい。私の記憶する限りでは現代歌人を主人公にし、歌を取り入れながら作られたテレビドラマはこれ以外にはない。いかに河野が歌壇の枠を越えて広く大衆に愛された歌人であるかを示す出来事だろう。

 河野の歌には社会詠や時事詠はほとんど無いのだが、第十四歌集であり生前最後の歌集である『葦舟』(二〇〇九)には「津波」と「生き残りしは」の合計十一首が収められている。津波と題されていてもそれはもちろん、東日本大震災のことではなく、死者二十二万超と言われる、二〇〇四年十二月のスマトラ島沖地震のことである。

  わたつみの途方もあらぬ広さかなさらはれ呑(の)まれし無数の頭
  ひと掬ひに流されゆきし人たちの生きてゐる口皆みな開く
  死にたるは腐れゆく他あらぬゆゑ布かぶせられ浜に並べり
  布めくりひとつひとつの死に顔を確かめ歩く生き残りしは

 インドネシアなどの国々の災害をテレビを見ながら作ったであろう歌ではあるが、何の説明も無く挙げられれば、東日本大震災の歌と言っても差し支えない内容である。時事詠の少ない河野の心を揺さぶったこの災害。河野が生きて東日本大震災を見たらどのように詠っただろうか。今生きている私たちは、未来の読者が読みついでくれる歌を詠み、読んでいきたいと思った。

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