青蟬通信

「無意識」の短歌史 / 吉川 宏志

2021年2月号

 映画『鬼滅の刃 無限列車編』に、人間の夢を操って攻撃する鬼が出てくる。その鬼が、「人間の意識のまわりには、無意識があって……」と図を描いて説明する。
 なにげないシーンのようだが、『鬼滅の刃』は、大正時代の話である。当時、「無意識」という概念は、まだ一般的ではなかったようだ。
 中村古峡『変態心理の研究』(大正八年に「無意識は大なる円であって、意識は其の中に含まれてゐる小さな円のやうなものである。意識的の諸事は、すべて無意識の中に其の一歩を持つてゐる。」という記述があり、このあたりからフロイトの学説は日本で知られるようになっていったようだ(新田篤『日本近代文学におけるフロイト精神分析の受容』)。当時としては最先端の知識を、鬼が語っていたことになる。鬼、おそるべし。
 私たちは、「無意識が自分の行動に影響を与えている」ということを、常識的に知っているが、百年くらい前までは、そんな科学的な知識はなかった。そんな人々の目に、世界はどのように見えていたのか。想像するのはなかなか難しい。『源氏物語』には、本人が記憶していないのに、何かをやってしまった、という現象がしばしば書かれ、「物の怪」と結びつけられる。何かにそそのかされて、人間は思いがけないことをやってしまうものなのだ、と紫式部は考えていたのかもしれない。
  何となく軒なつかしき梅ゆゑに住みけん人の心をぞ知る
                            『山家集』
 西行には「何となく」で始まる歌が多いのだが(十三首もある)、今でいう無意識を、歌で捉えようとしていたからではないのだろうか。なぜだか軒の梅の花に心ひかれるのは、昔住んでいた人の思いが残っているからだろう、と歌う。無意識が、残存する心に感応する。目には見えない、精神の不思議な広がりを、西行は表現しようとしていた。
  はつとしてわれに返れば満目(まんもく)の冬草山をわが歩み居り
                              若山牧水『路上』
 明治四十三年の歌。当時の牧水は、無意識という概念を知らなかっただろう。しかし、ずっと道を歩いていると頭がぼんやりしてきて、ふと気づくと目の前に大きな冬山が迫っていた、という経験をリアルに捉えている。「われに返れば」と「わが歩み居り」の二つの「われ」が自分の中に存在している、という奇妙な発見。牧水は、短歌は「自我の詩」であるという地点から作歌をスタートしたが、その「我」は、自分が意識していない何かに衝き動かされていることに気づきはじめていた。
  わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを
                              斎藤茂吉『赤光』
 大正元年の作。茂吉は精神医学者であったから、無意識について学んでいたかもしれない。赤い鶴の頭を見て、いつのまにか自分の目は涙を流していた。鶴の頭は別に悲しいものではないんじゃないか、と疑問をもつ人もいるだろう。だが、茂吉は、自分が泣いているのだから、鶴の頭は悲しいのだ、と原因と結果を逆転させたように歌っている。行為が先で、感情は後からやって来る。それは人間の心理の本質であり、そこに触れているからこそ、この歌からは何か強く伝わるものがある。
 短歌がどのように無意識を表現してきたかに注目すると、これまでとは異なる短歌史を描くことができるように思う。今は時間がなくて手をつけられないが、研究してみたいテーマの一つなのである。
 島田修三の新歌集『秋隣小曲集』にこんな歌があった。
  どの棟に集中治療室(アイ・シー・ユー)はあつたつけ忘れたかりけむ忘れ果てにき
 妻の死を詠んだ歌の一つ。無意識のうちに自分は、全てを忘れようとしていたらしい。集中治療室の位置さえ記憶していない、と歌う。ショックから逃れようとする自己が、心の奥底に存在していたことに気づき、あらためて自分が負った傷の深さを思い返しているのである。

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