八角堂便り

歌で味わう①〈揚げもん〉 / なみの 亜子

2019年7月号

 齢をとったり元気がなくなってくると、どうしても食が細くなる。そんなときは歌で味わってみよう、という試み。まずは、関西で言うところの「揚げもん」。弱っていたら油に負ける気がして、なかなか手が出ない。しかし若い頃には、とにかく「揚げもん」があるとそこは祭りだった。なんなら大皿いっぱい、いろんな種類の揚げもんがフェスティバルしててくれ、と思った。もっと幼い頃には、「コロッケ」が神。尋常ならざる美味さ。
  コロッケを揚ぐる肉屋の香が流れ小学校の帰路ぞかなしき
 断然、これ。下校途中の肉屋さんで、一個だけ買う。新聞紙やチラシ、藁半紙を小さくカットしたやつで、持つ所をくるんでもらう。すぐに油が指先にまで染みてくる。それを最後の最後に舐めるのも、楽しみなのだ。さくさく。はふはふ。唇てかてかにしもって夢中で食べる。確か、学校からも親からも、下校時に買い食いをするべからずの令、が出ていた。姉は守る。妹の私は平気で破る。あのコロッケを揚げる匂いに抗えるなんて、おねえちゃんはどうかしてるぜ。食べ終わってしばらくうっとり。その間に姉はすたすた家に着き、母親に密告している。なので帰宅を後ろへずらす。小川べりにランドセルを放りだし、ザリガニを釣ったり小魚をすくったり。充分に暮れたら何食わぬ顔で帰宅。母親は晩飯の仕度に追われ、買い食いを叱るタイミングを逃す。肉屋のコロッケの美味しさは、下校の時間の起伏とセットになっている。
  ひそかなるわれの楽しみ人知れずカツ買つてきてカツ丼つくる
 トンカツを「カツ丼」にする。流儀を感じさせる大人な味わい方だ。麺つゆと溶き卵でドレスアップすると、洋食のトンカツが一気に和になる。それを飯をおおうように全面的に載っけると、それはもう一つの宇宙(?)。日本の胃の腑に力強く明るい展望がひらく。私め二十代半ば。マンションの近くに居酒屋があって、当時同棲していた彼(後に結婚して離婚する)とよく行った。そこの一品に「カツとじ」があった。つまり、カツ丼の飯ないバージョン。ビールにばっちり。必ず頼んだ。カツの衣のパン粉が麺つゆを吸って独特の風味をまとう。うまい。
  蝦フライにかかりゐし白きうまきものあれはいま言ふマヨネーズらし
 いやいや、それは「タルタルソース」ちゃう? ピクルスや刻みゆで卵が入った凝ったやつ。「白きうまきもの」はいかにもそんなご馳走の感じ。タルタルがないときは、マヨネーズにウスターソースかケチャップを合わせたのでもいい。レモンも少し。魚介系のフライに合う。
 引用は全て岩田正『郷心譜』から。岩田さんが六十八歳で出した歌集だ。食への意識の高さ、その底に健やかさへの意欲と願いが感じられて、味わいが深い。

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