百葉箱2025年12月号 / 吉川 宏志
2025年12月号
母亡くせし人ゆ届けり北の桃うぶ毛ひつたりその実をおほふ
阿蘇礼子
下句の柔和なリズムに情感があり、静かな悲しみが投影されている。「北の桃」が美しい。
子どもたちのそれぞれの写真おくたびに棚の父母端にちかづく
長谷川愛子
子どもの写真が増えると、父母の遺影は隅に追いやられる。地味だが、奥行きのある歌だ。
六世紀の出雲の野に立つおす鹿の見返る先に牝鹿いるらむ
小山美保子
銅鐸の鹿か。遠い昔の鹿も雌を求めていただろうと想像する。文体が現在形なのも独特だ。
街角の油かけ地蔵は黒々とビルの一階に納められたり
加藤 紀
油をずっと掛けられてきた石仏。街が開発されビル内に置かれている。黒さに存在感がある。
ぼうふらがなぜ踊るのかわかってる?みなで踊ればわかるでしょうよ
乙部真美
奇妙な歌で、集団で踊る愉しさや怖さが伝わってくる。
立ち上がる娘を柵に閉じこめて鶏一キロをじゃんじゃん揚げる
細尾真奈美
幼い子を隔離し、一気に料理する。下句に勢いがある。
結局はなめられたくないってことか デスクの下を転がる埃
川上美須紀
破調のリズムから悔しさがよく分かる。下句の細かな描写も苛立ちを象徴している。
戦時下の子らが見ていた紙芝居 敵の遺体はどこにもあらず
石井暁子
資料館などで見たのか。今も昔も軍隊の悪は隠される。
ハワイ風ロコモコという食べ物の風の部分が特によかった
佐藤 橙
言葉遊びだが「風」のさまざまな意味を愉しめる歌だ。
利己と利他 女友達を呼ぶようにつぶやき眠る夜勤明けの夜
百崎 謙
リコ・リタと発音すると女性の名のよう。何が他人のために良いのか、悩んでいるのだろう。
すっぽりと猫形残った草むらに手を触れてみる抜け毛の数本
八木若代
さっきまで猫が居た空間に、まだ存在感が残っている。
なき人を偲べばいつもあらわるる好きだった花 りんどうは母
夏 るり子
結句で展開するリズムが印象的。母のりんどうが美しい。
夫にだけ名刺を渡す不動産屋 わたしはときどき透明になる
山本慶子
男性社会の典型的な一場面を批判。下句もユニークだ。
生票と死票に分かるる 死の票も六年保存さるると聞きぬ
永野千尋
選挙の裏側を歌う。「死」も保存される驚きが伝わる。
この星が球体だって知るまでは無かった赤道 恋かもしれない
水沢穂波
地球が球体と分かったから、赤道が生じた。恋も、後で気づくことがある。面白い発想。
傷ついた短い指に擦り込んだ庭のアロエの濡れた断面
紙村えい
結句に、アロエのなまなましい質感がよく表れている。
蛇口から九日ぶりに出た水を指で幾度もつついておりぬ
淵脇千絵
断水の後の安堵と不安の混じる思いが、動作から滲にじむ。
いくたびも数えて過ぎた足音をきみに隠して「いま着いたとこ」
遊道夏陽
足音が聞こえるたび、来たかと思いつつ待ったのだ。でもその恋心は秘めている。新鮮な歌。
心電図のごとく繰り返さるる刃文本作長義
鹿沼麻歩由
日本刀の刃文の波を心電図に喩えたのが意外。刀の生命力を感じている。名詞も印象的。
押しボタン信号2分後にかわる僕が2分で馴染む夕景
わかば
押しボタン信号で待つとき、夕暮れに気づいたのだろう。独特の新しい時間感覚がある。