百葉箱

百葉箱2024年7月号 / 吉川 宏志

2024年7月号

  謝罪するために頭を下げる、深く 水に飛び込むような心地で
                              川上まなみ

 儀礼的に謝罪するときの暗澹とした思いが、体感的な比喩で捉えられている。
 
  配達を辞めれば来ることなき村の袋小路の地蔵撮りおく
                           石川 啓

 配達の仕事を辞めるとき、ずっと眺めてきた村の情景が名残り惜しいものになる。
 
  こちらではプーパバというたんぽぽはどこで咲いてもおんなじ響き
                                竹田伊波礼

 スロバキアのたんぽぽ。音の響きが楽しく、心に残る。
  
  トロン、トロン、ギターの弦をはじきをり山は夕陽に染まりてトロン     
                                 丸山順司

 擬音語の繰り返しが心地よく、郷愁に誘われる。
 
  手で漕げば亡き子の子す「乗り心地悪くないでせう僕の車イス」
                               俵田ミツル

 子が乗っていた車椅子に自分も乗るようになった。幻の声が心に沁みてきて哀切な歌。
 
  飛び込みに立つ競泳の胸筋よ鶏ならあれがムネ肉なんだ
                           松塚みぎわ

 意外な連想に笑ってしまう。結句の「なんだ」もいい。
 
  貌のなきロボットがぬーと運び来る皿に盛らるる牛タン赤し
                             澤井潤子

 最近増えてきた情景。「ぬー」や結句の色彩感が印象的。
 
  入院となるやも知れぬわが留守を何も困らず写真の君は
                           西山千鶴子

 夫がもし生きていたら、生活に困っていただろうと想像する。淋しいユーモアのある歌だ。
 
  ランドセルが小さく見える女子ふたり制服の箱さげて帰りぬ
                             寺田慧子

 中学生の制服を買って帰る六年生の女子。さりげないが、景の明るさが見えてくる歌である。
 
  スコップに日陰の堅雪砕きつつ去年降りたる真白に出会ふ
                            水越和恵

 北国の生活実感が溢れており、白さが目に浮かぶよう。
 
  抱きしめて歩こうすでにひとりではない身体を身重と呼ぶと
                             阿部はづき

 思いをそのまま口ずさんだようなリズムで、身体の重みがいきいきと伝わってくる。
 
  お互ひに買ひ食ひをする店主らのキッチンカーに桜雨降る
                            岡本 妙

 花祭りの出店だろうか。声が聞こえそうな、リアルな場面だ。
 
  よしよしと吐くせなを撫でやれば一才の子も加わりて撫ず
                             土井恵子

 二人目のつわりだと読んだ。母を心配する子の様子がほほえましい。優しい味わいがある。
 
  コンクリの塀の透かしのある箇所に蜂の巣建立されはじめたり  
                              日下踏子

 上の句は物をよく見ている表現。「建立」と、わざと大袈裟に書いたところがおもしろい。
 
  浮草にもたれて死にをり白メダカちひさき内蔵うすあをく透く
                              坂東茂子

 「もたれて」が効いていて、情景が鮮明に見えてくる。
 
  耳刻じこく入れ豚を識別した日日よ近所の猫に耳カット見る
                          別府 紘

 「耳刻」の語で歌が引き締まった。生の厳しさが伝わる。
 
  トイレットペーパー縦に裂けてゆく いま新人を叱ったばかり   
                              朝野陽々

 上の句の描写が、心の苦しみに実在性を与えている。
 
  新聞でキャベツ包めば訃報欄死者は己が名見ることはなし
                            岩泉美佳子

 下の句は当然だが、このように歌われると、どきっとさせられる。上の句の具体性も良い。
 
  首に社員証がないこと思いだす休暇の朝のホームの端にて
                            中嶋 学

 いつもあるものがない不安感。初句の句跨りにも注目した。
 
  生きることを少しやめたくて呼吸止める 途端に体が生きたいと叫ぶ
                                 潮 未咲

 当たり前のことなのだが、「少しやめたくて」という発想が強烈で、心惹かれる一首となった。

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