百葉箱2015年9月号 / 吉川 宏志
2015年9月号
にこやかな君の遺影にふさわしき隣る写真がまだ見つからぬ 近藤桂子
夫を亡くした人の歌で、「隣る写真」はむろん自分の遺影のことである。「まだ見つからぬ」なので、真の笑顔が自分に戻ってくる日まで、まだ生きねばならない、という決意も込められている。簡明に詠まれているが、亡き夫への恋情が切々と伝わってきて、胸に響く一首だ。
対岸は霧に消えたり橋上につかの間吾もつつまれている 山代屋貞子
この一首だけだと淡く感じられるかもしれないが、夫の死を詠んだ一連の中に置かれると、不思議な奥行きが生まれる。「対岸」が、現実の川岸を超えて、死の世界のように思われてくるのである。歌は、置かれた場によってさまざまに表情を変える。
来るまでに出会った雨を連れてきてあなたは私の部屋を濡らした
川上まなみ
清冽な相聞歌である。「来るまでに出会った雨を連れてきて」という表現がとてもいきいきとしている。それは「あなた」が今までに出会ったさまざまな過去も想起させる。そんな時間をもった存在として、「あなた」は今目の前にいる。
幸くあれと頭かきなでることよりも行くなと叫ぶ私は叫ぶ 山梨寿子
万葉集の防人の歌「父母(ちちはは)が頭(かしら)かき撫で幸(さく)あれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる」を本歌とする。兵にとられるときに慰めるのではなく、反対の言葉を今叫びたい、と歌う。安保法案が論じられている現在、非常に印象深い歌である。「私が」という主語に迫力がある。
私がたたかふ相手を勝手に決めるなよ「テロと戦ふ」を聞くたび思ふ
澤村斉美
この歌はやや飄々としているが、世論を一つにしようとする空気に逆らう強いまなざしを感じさせる。「私が」考えることの重要さが伝わってくる。