木の葉を繃帯に / 前田 康子
2025年9月号
昭和二十年、戦争は終りましたが、病友三百二十名が栄養失調で世を去ったこ
とでも如何に深刻であったか、思うだに戦慄を覚えます。
と、塔のハンセン病歌人だった太田正一は『風光る』のあとがきに書いていて
戦に飢え失明に呻きたる二つ記憶がわれを生かしむ
『天のてのひら』
と詠んだ。
戦時のハンセン病療養者がどのように生きたかは取り上げられることが少ない。戦争とハンセン病は複雑に絡み合い、療養者を戦時以前よりさらに苦しめた。その中で太田が言うように大勢の療養者が亡くなり、そのことすら問題視されなかった八十年とも言える。一九三八年、軍事勢力拡大の中「健民健兵」政策が実施されハンセン病は「三大国辱病」の一つとされた。そして社会全体で「撲滅」する「無癩県運動」が引き続き行われ、絶対隔離が強化された。それは「公衆衛生の一環として治療こそ最大の予防である」と明言した国際連盟の動きと大きく乖離していたのだ。社会から隔離された療養者は、重病者の世話や壕を掘るなど、療養よりも労働を強制された。その頃の歌を『ハンセン病文学全集 短歌』から見てみたい。
大君の御楯と成りて今まさに出で征かむ歳を虚しくぞ病む
大鷹 勝彦
出征の兵士思へば島の我ら日日の食事にも心畏む
樋口 博美
一首目、作者は健康であれば出征した年頃なのだろう。それができない自身の生を「虚しくぞ病む」と嘆く。二首目、戦時は国中で食糧不足であったが、療園では療養者が増えたため配給が半減し慢性的な栄養失調が起きたとされる。それでも兵士のことを思い「心畏む」と詠む。
戦争に力かさざりしとは何を言ふ木の葉を繃帯に巻き堪へて来にしを
伊藤 保
物資不足のためハンセン病には不可欠な包帯も足りなくなり、木の葉などを代用せざるを得なかった。もともとの差別意識に加えて戦時にはさらに上句のようなことを言われ何重もの差別のもとで生きなければならなかったのだ。
国はいま敵国となり戦へど君をし母と仰ぎてぞ来し
桜戸 丈司
ハンセン病医療などに活動したイギリス人、コンウォール・リーを詠んだ歌。戦争を越えて人間同士の繋がりがある。
戦争のためにプロミンの使用時期が数年遅れしこと忘れ得ず
井上真佐夫
プロミンはハンセン病の特効薬。アメリカの薬であったために一九四六年からの使用となった。戦後八十年、遺されたハンセン病歌人の歌はますます貴重なものと感じる。今年、国立ハンセン病資料館では八月末まで「戦争とハンセン病」の展示も行われた。