歌で味わう⑥〈麺〉 / なみの亜子
2024年11月号
一日三食のうち、一食は麺類を食べたい。自称「麺喰い」(←一発変換できて驚く…)な私め、なかでも「そば」が好き。だが、大阪に来たばかりの頃は「そば」でしばしばやらかした。大阪は、落語の「時そば」が「時うどん」になる圧倒的なうどん優位地。そこに、いわゆる「きつね/たぬき」問題も横たわる。結論から言うと、大阪の「きつね」は「きつねうどん」で、「たぬき」は関東で言うところの「きつねそば」である。じゃあ揚げ玉が載った麺は? そもそも大阪では「揚げ玉」ではなく、「天かす」と称す。天ぷらのかす、だから無料でトッピングできるようになっており、従って、大阪に「たぬきそば」なるものは存在しない。なぜか、うどんに天かすを載せた「ハイカラうどん」はあるのだが。いろいろと謎が深い地。近隣県はまた違うと聞く。
齢を重ねても、そばは飽きない。風味よし、喉越しよし、胃もたれもなし。冬はあったかく、夏はザルやぶっかけで。
行平鍋に蕎麦茹でゐたる放心の七分あまり記憶にぞなき
そうそう、これぞお家そば。うちも「行平鍋」でやる。茹で時間「七分」はちょっとしっかりめの乾麺の感じ。程よい茹で加減を目指して、ひたすらに鍋を見つめる。やがて「放心」に至る、乾麺道。
白くほそき更科蕎麦を洗ひつつどうやら俺は哀しいらしい
これも乾麺だろうか。一番粉だけでできている「更科」そば。肌が白くてほっそりとした姿。そば界の手弱女ちゃんのような。だから、「締める」のではなく、やさしく「洗」ってやる。おや、「俺」らしくないぞ。俺、哀しいのか?
田舎蕎麦の太き朴訥すすりつつ宮崎美子のこゑ聴くかなや
一転して、色黒で太めの麺が野趣に富む「田舎蕎麦」。粗くひいたそば粉にそば殻まで入っていて、風味が強い。「すすりつつ」の後、弾力のある麺を噛んで味わう。そのへんの「朴訥」がデビュー当時の「宮崎美子」を連れてくるのか、或いはテレビかラジオからの声か。洗練の方向にいかない素の美を保っている感じ?
燗酒を舐めつつ啜れば伸びの来し天麩羅蕎麦のふぬけたる佳し
そば屋で燗酒。作家か文化人か、すっかり池波正太郎チックなことをしちゃってる。でありながら、そういうことをしている自分へのどこか醒めた目もあって、のびてきた「蕎麦」の「ふぬけたる」を「佳し」と評論してみる。へそまがりな味わい方が可笑しくて、かわいらしい。
引用歌は、すべて島田修三『露台亭夜曲』から。他の麺類もいろいろ詠んでいて、この人は相当な麺喰いと見た。何より麺でない料理は「啖う」をよく使っているのが、麺は「啜る」「むせぶ」等、麺の種類に合わせ細やかに使い分けている。食感や風情の多彩さが味わえて楽しい。