八角堂便り

投稿された中高生の歌 / 永田 淳

2025年10月

 ここ十年ほど、島根県隠岐の海士町が主催している「隠岐後鳥羽院大賞」の青少年の部の選者をしている。学校の夏休みの宿題に課されたと思しき歌が大半で、それらはほとんどが採れない。多くが汗と涙の部活動か青春の友情が題材である。どういった流行なのか「青春」を「アオハル」などと読ませる歌も最近は多くて辟易すること屢々である。
 ただこういった学校単位(だと思われる)の投稿ではなく、この賞を見つけてきて自主的に投稿してくる中高生の作品にここ数年素敵なのが何首かあったので紹介したい。
  クレオパトラの乳房はしりしくちなはの毒の煌めき星月夜燃ゆ
                          相曽あいそ 此君しくん

 一昨年の最優秀に選んだ一首。澁澤龍彦あたりの耽美世界を思わせる。クレオパトラが毒蛇に嚙ませて自殺したという伝説を下敷きにするが、歌はそれを副材として序詞に用い、星月夜の明るさに大胆に展開したところが見事だ。旧かなを使い、大胆な破調も堂に入っている。この年は次席に選んだ「吃音の姉の言葉を抱きしめるために野薔薇は円弧を描く(宗實むねざね杏寿加あすか)」という捨てがたい一首もあったのだが、毒蛇のインパクトの強さに抗しきれなかった。例年なら充分最優秀だっただけに、賞というのはつくづく巡り合わせだと思う。
  車窓から夜景を見ている帰り道自分も誰かの夜景になる
                           小坂 優輔
 
 去年はこんな一首。素直な詠い方だが、見ている・見られているという立場がどこかの時点で逆転する、という相対的な視点を若い時から持っていることに感心する。どこかで「自分もこうして誰かに見られたい」という願望もあるだろうか。
  二時間に一度のバスに少しだけ遅れる速度で君と歩いてる
                            森口夕理香
 
 今年の最優秀に選んだのがこの一首。淡々と事実だけを述べているのだが、ここに籠められている作者の、そして君の思いがこれほどまでストレートに伝わるのはやはり歌の力だろうか。
 場面はおそらく夏の夕暮れ、田舎道をバス停まで送ってくれる君。このままのペースではバスに間に合わないのは私も、そして間違いなく君も分かっている。けれどどちらも「もう少し急がないと間に合わないよ」とは言い出さない、口に出したくないのだ。言ってしまえばバスに間に合わせざるを得なくなるから。バスを逃してしまえば、あと二時間は一緒にいられる。作者も君もバス停のベンチであと二時間、共に時間を過ごしたいのだ。
 一首にはそんな作者の、あるいは君の願いは書かれていない。しかしそれが痛いほどに伝わる。歌会でよく言われる「言い過ぎ」を見事に回避しているだろう。
 彼らがこの先、短歌とどう付き合っていくのかは知らないが、自主的に投稿してくる情熱があれば続けてくれるだろう。
 この青少年の部、毎年投稿が少ないので知り合いの中高生で興味ある人がいたら投稿を促していただけると嬉しい。

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