漢字の力 / 岡部 史
2025年1月号
漢字そのものを詠む面白さを私に教えてくれたのは、第三四回角川短歌賞受賞作品のうちの一首だった。
人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター枡目の中の鬱の字ほどに
香川ヒサ(後に『テクネー』所収)
手足や重たげな頭が見えてくるような「鬱」の字は、もと樹木の密生を意味し、やがて閉塞感を表す言葉になったらしい。まるで意味と形の織り成す迷宮のようだ。
「讒」の字の二十四画数へつつ白紙のうへに書くことのなし
小池 光『草の庭』
「讒」の旁は人を騙す兎のことで、そしる、ねたむ、を意味する。成り立ちに物語性があって惹かれる字だが、特にこの字を選んだ作者の心情にも思いが及ぶ。
草紅葉ちりちりとわが村の名の夷の文字が炎えあがりたり
日高尭子『牡鹿の角の』
中央に対する地方の意の「夷」。「不服従者」も透けて見える。激しい反骨精神を秘める彼は、草紅葉の美しい村のある秋、蜂起に及んだかもしれず。
イラクにて殉職すれば出るといふ賞恤金
栗木京子『けむり水晶』
「恤」は憐れむ、の意。発音が不気味なうえ「恤」という縦画の多さは血が滴るかのよう。一字の内を妖気が漂う。
筆者も実は漢字の歌を多く詠んでいる。
「犇
岡部 史
ところで、漢字の形、音、意味に加え、もう一つの要素を暗示する歌がある。
人麻呂の暗号なるか「咎
水口拓寿「塔」一九九六年九月号
藤村由加『人麻呂の暗号』(一九八九年刊)から着想を得て詠まれたのではないだろうか。万葉集を代表する歌人として、多くの秀歌を残している人麻呂だが、人物像は不明で、刑死したと推測されているが死地もわかっていない。多くの謎が、人麻呂作品を愛する人の興味をそそり、かの茂吉をして「鴨山考」を執筆させたことも周知の通りなのだが。
作者の藤村は、漢字の多くが朝鮮半島を経て日本に伝わっていることから、万葉時代の歌にハングルから受けた痕跡を指摘、人麻呂の作品にこれまでにない大胆な解釈を展開している。中国語の本来の意味、偏と旁の複合性、意味の重層性に加え、朝鮮半島で付加された意味や読みを駆使し、正史から抹殺された大歌人が、密かに作品に込めたであろうメッセージを読み取ろうとしている。
前掲の水口作品は、特に「咎」という漢字の特異な形体に着目し、ハングルの影響に触れつつ人麻呂の死に思いを寄せる一首になっている。あらためて漢字の持つエネルギーとその包容力に感じ入ってしまう。漢字、詠むべし。畏るべし。