八角堂便り

歌集『ゆふすげ』 / 永田 和宏

2025年3月号

 上皇后美智子さまの歌集『ゆふすげ』が好評で、歌集としては異例の売れ行きに驚いている。改めて美智子さまの人気を思うが、それだけではなく歌がいいのである。この歌集の出版のお手伝いをした者として素直にうれしいことである。
 美智子さまにはこれまでに『ともしび』『瀬音』の二冊の歌集があるが、信じがたいことに、これまでは歌集に著者名が記されてなかったのである。今回の『ゆふすげ』で初めて著者名が歌集に載せられた。美智子さまの歌は、皇太子妃、皇后といったバイアスをかけずに、一人の歌人の歌として読んでほしいという思いから、今回は著者名「美智子」を入れるよう強くお願いをしたのであった。
 集中なによりも多いのが「君」を詠った歌である。
  三日みかの旅終へて還らす君を待つ庭の夕すげかしぐを見つつ
  幾度いくたび御手おんてに触るれば頷きてこの夜は御所に御寝ぎよしんし給ふ

 わずか三日の旅に出た君の帰りを待ちかねて、ひとり庭に出てみるとゆうすげの花が傾ぎつつ咲いていたという、皇太子妃時代の歌から、天皇が癌の手術後、一時帰宅をされた時の歌まで、君を想い、君を思いやる歌がとても多く、ある種、惚気のろけに近い歌さえあって思わずにやりとしたりもするのである。二首目の歌などは、ほとんど子をあやす母親の視線でもあろう。
 そんなほんのり微笑ましい夫婦の歌のほかに、今回、あらためて気づいたのは、社会や歴史に向ける厳しい眼差しでもあった。皇后としてここまで詠っておられたのかと驚いた歌も多くあった。
  被災地に手向たむくと摘みしかの日より水仙の香は悲しみを呼ぶ
  戦場にいとし子捧げし ははそはの母の心をいかに思はむ

 阪神淡路大震災の際の被災地訪問で、美智子さまが自ら庭で摘んだ十七本の水仙を手向けられたことはよく知られるが、水仙の香をかぐたびに悲しみがよみがえると詠う一首目。硫黄島での犠牲者とその母の心情を詠った二首目。ともに「象徴」としてのお二人のこれまでの歩みを端的に物語っている。
 〈象徴〉という存在として、「寄り添う」と「忘れない」という二つを如何に実践してこられたかは、拙著『象徴のうた』で詳しく論じたところである。
  帰り得ぬ故郷ふるさとを持つ人らありて何もて復興を云ふやを知らず
 今回、この「復興」の歌にも驚いた。直接には東日本大震災を詠った歌だが、政府もメディアもすぐに順調に復興が進んでいると言いがちである。原発事故のため故郷に帰れない人々がこんなにいるというのに、何をもって復興と言えるのだろうかという、作者の静かなつぶやきは、私たち読者のそれぞれに問いかけられた問いでもあると言えよう。
 いい歌集である。私は解説も書いているので、ぜひお読みいただきたい。

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