「高安国世」再読 / 山下 泉
2024年9月号
昨年の〈全国大会in福岡2023〉において力を尽くされた赤煉瓦歌会の皆さんの月例歌会に選者派遣として伺った。会場の赤煉瓦文化館は、日本の近代建築の祖といわれる辰野金吾の設計による明治42年の竣工。梅雨のうす暗い空の下でも、煉瓦と花崗岩の意匠の美しい建築には独特の手触りがあり、周囲の都市ビルと肩を並べて、近代と現代の溶け合うような景観がある。そのやや異質の時空を偲ばせる会場での歌会は、聡明な批評力と創作意欲にみちた闊達さだが、歌会後の楽しい語らいで「塔」の創刊者高安国世はどのような人かという質問にも出合った。
ところで今年の四月には塔七〇周年記念号が発刊された。創刊からの来歴のポイントを緻密に回顧し深い省察に導く企画と内容は圧倒的なものだが、とくに興味深く思ったのは〈没後四十年 高安国世再発見〉である。六人の若い世代の書き手が『高安国世全歌集』をテキストとして、高安の作品世界を概観する「子育て」「海外留学」「地方と東京」「日常の発見」「自然」「前衛」の六テーマに即して作品の読解に取り組んでいる。
生前から没後四十年という遥かな時間は人間や社会や文化や言葉の眩暈するような変容に満ち、的確な読解や感受の難しさも予想されるのだが、短歌創作という共有の磁場からの論考が与えてくれる発見は新鮮なものだ。
「子育て」のテーマを論じた鳥本純平さんは、全歌集の子・孫に関する作品約五三〇首を踏まえ、高安の傍観者性や孤独を浮き彫りにするものとして、子育てに対するネガティブな表白をもつ歌に着目するが、この表白に同時に現実の自己の一面を赤裸々に歌う表現者の矜持を読み取っているのは重要な点だと感じる。「海外留学」を論じた北奥宗佑さんは、短歌と「ヨーロッパ紀行」から成る歌文集の形をとる『北極飛行』を読み込み、滞独中の短歌作品の減少の理由を、歌の対象である、日常〈日本〉/非日常〈西欧〉の観点から考察。高安のドイツ生活が、それまでの短歌への対し方を相対化した「リセット期間」ではないか、という見方には同感である。逢坂みずきさんは「地方と東京」のテーマから、世界への視線、歌人たちへの友愛へと作風を辿り、現在の「塔」の風土の長所に触れる。「日常の発見」を論じた松本志李さんは、「日常」は高安にとって「真実」に接近するための逆説的手法であることに注目し、作品の丁寧な読解を試みる。髙野岬さんは、自然詠の変化に着目し「驚きの人」としての特異性を考察。千葉優作さんは、高安の作風のアララギ的近代性と前衛性との関係の在り方にも迫り読み応えがある。
常に表現の新しさを希求し、近代と現代の独自の溶融を見せた高安国世の作品が、現在の若い詠み手/読み手と出合うことの意義を思わずにはいられない。