歌で味わう⑦〈続・麺〉 / なみの亜子
2026年1月号
家系やら二郎系やら。やれ豚骨だ背脂だ大蒜マシマシだ。お店ラーメンの熱狂と進化が止まらない。だが、こう書いているだけで、わたしにゃ無理。還暦過ぎた胃袋が、いかにも濃厚そうなラーメンを申告敬遠してしまう。そもそもがラーメンと言えば、日本の誇るインスタン党の党員として生きてきたのだ。ふっ。
小学一年の頃。水疱瘡で高熱を出し、何も食べられなくなった。あれもいらん、これもいらん、とグズる私に、母は最後に一つの椀物を持ってきた。それが当時十円の「ベビースターラーメン」をお湯で煮たもの。スプーンで掬ってふうふうしてたちまちに完食。後に「チキンラーメン」に近い味だったとわかる。なぜにあの局面で駄菓子を煮ようなどと思ったのか。わが母のわけわからん発想力に驚嘆するのだが、関西に来てから、この逆パターンが存在していたのを知った。すなわち「チキンラーメン」をバリバリに砕き、断片化した麺をそのままスナック菓子としてぽりぽり食す。なにわのキッズが普通にやってた。食の開拓者たちめ。
以来、袋ラーメン道をひた歩く。サッポロ三兄弟(醤油・味噌・塩)はもちろん「出前一丁」や「チャルメラ」や。何年か前復刻版が出たという「キリンラーメン」もよく食べた。ところが、ある麺が登場してから、私のメン観が一変する。
紙の器に湯をそそぎつつ暫し待てよ〈聖
昭和四六年。鍋も丼も要らない。湯を注ぐだけ。もはや魔法としか思えない「カップヌードル」が世に出た。食べてみたくてたまらない。インスタント嫌いな父が夜勤の夜、姉と私に初めて食べる機会が訪れた。その日のために用意したのが、三分で落ちる砂時計。もうすぐもうすぐ。掲出歌は岡井隆『禁忌と好色』から。乾物が温かい麺になるまでの、「暫し」という時間の不思議な感触を、「神」や祈りのフレーズで表現。魔法を楽しんでみせる。
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
いざ。紙の蓋をはがしてご対面。穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の有名歌。ピンクの海老や茶色の謎肉、黄色いほわほわ卵。まさに「ハロー」な瞬間に心躍りがとまらない。カップ麺は、景色が違った。異国語で挨拶したいほど越境的でユニバーサル。食べれば呼吸を忘れてぐいぐいといってまう。危険な軽さと旨さ。食の景色と気分を変えてしまったのが、カップ麺ではないか。
重き湯と思いて長く湯切りするあまり選ばぬ味のカップ麺
廣野翔一『weathercocks』から。もうカップ麺が当たり前にあって、バリエーションも豊富な今。だけど「重き湯」や「味」の選択への仄かな翳りに現代的な哀感が。効率と引き換えに希薄になっていく食の手応え。景色は変わり続ける。