「和歌」と「短歌」をつなぐもの / 小林 信也
2025年12月号
先日、大磯の鴫立庵を訪ねてみた。俳人大淀三千風
鴫立庵という名前は、西行の歌
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮
から採られている。鴫立庵ではそもそもの初めに西行五百年忌を行って以来、今でも毎年西行祭を開催している。つまりここは古典和歌と現代をつなぐ場所でもあるのだった。当日、連句の会が行われていたことからもその繋がりが生きていることがわかる。興味深いのは、その繋がりが、短歌形式でなく、連句の形に依っていることだ。連句はもともとは「俳諧の連歌」または単に「俳諧」と言ったものらしい。ポイントはこの「俳諧」の語にあるように思う。
そこで思うのがNHK大河ドラマ『べらぼう』で扱われた狂歌のことだ。この狂歌もまた、古典和歌を受け継ぐ存在であったのではないか。角川文庫の『万載狂歌集』(大田南畝編)の校注者宇田敏彦氏の解説に依れば、そもそもは和歌の教養を踏まえた武家階級によるパロディー文学であり(集名自体が勅撰集の『千載和歌集』のもじりである)、雅な題材はくだけた言葉で詠み、俗なテーマには伝統的な歌語を用いる、というものであったらしいが、流行とともに文化的に無価値なものが横行し、衰退したという。解説には、狂歌師朱楽菅江
古典和歌が権威化され、題材や用語が「雅」のものに限定されてしまった時、それに捉われない、俗なもの、身近なものに詩情を見出そうとしたのが「諧」の心を持つ連句であり狂歌だったのだろうと思う。そしてそれは、主に俳諧の流れから、明治の子規につながっていく。
連句と狂歌のもう一つの共通点として思うのは、読者の存在である。連句はもちろん座の文芸であって、互いに読みあって批評しあうものであるが、狂歌の隆盛もまた、蔦屋を筆頭とする出版文化の裏付けがあってのものなのだと言える。読者あってこその創作。それは、今日われわれが結社に集い、作品を詠みあい、読みあう行為に間違いなく受け継がれていると思うのだ。