百葉箱2019年3月号 / 吉川 宏志
2019年3月号
逆らひし日々とほくなり上の息子(こ)は父の傍ら絹糸を撚る
久次米俊子
少年期は反抗していた息子が、家業を継ぐことになったのだろう。手ざわりのある結句が良い。家族の物語が見えてくるような一首だ。
藍いろに夕風のふく道をきて夫の好みし真烏賊あがなふ
千葉なおみ
「好みし」だから、夫はもういないのだろう。「真烏賊」の具体や上の句の美しさが目に残る感じで、しみじみとした寂しさが伝わってくる。
涎掛け少しゆるめに掛けやらむ地蔵の顔にわが顔寄する
伊藤芙沙子
おもしろい場面がいきいきと見えてくる歌。「少しゆるめ」にするというところから、地蔵への親しみや気遣いが感じられる。
バスの影去つてしまふと赤まんまにわたしの影がかぶさつてゐた
北島邦夫
バスの影が消えたあとに、自分の影が見え、赤い花も見えてくる。なんでもないことなのだが、存在の不思議さが静かに浮き上がってくる。旧仮名の効果も大きいだろう。
次にあふときはコート着てゐるでせう やつぱり空のこと聞くでせう
小田桐夕
これも旧仮名の「せう」が浮遊感を生み出している。次に会うときも、二人で空を見上げていたい。しばらくの別れの寂しさと優しさが、印象に残る一首である。
かげふみは夜でもできるよぼくたちはいつでもひかりに狙われている
永野千尋
光と闇がはっきりした舞台劇を見ているような雰囲気がある。自分を暴いてしまう光のほうがむしろ恐ろしい。そんな現代的な危機感も背後にあるだろう。
年越しの囲炉裏に焼(く)べる太き榾「年太郎」とぞ皆人言いき
別府 紘
古く味わいのある言葉を記録した短歌も大切にしたい。