子規の読者意識 / 吉川 宏志
2022年1月号
正岡子規について長い文章を書く機会があり、子規の評論を読み返していた。改めて気づいたのだが、子規は「読者」という存在を強く意識していた人であった。「読者」という語を用いた文章をしばしば見いだすことができる。
「薄暗き恐ろしき森の中に一本の赤椿を見つくれば非常にうつくしく且つ愉快な感じを起す。此
(「叙事文」明治三十三年。傍線筆者)
暗い森の中の赤い椿を表現するとき、椿を詳しく描く必要はない。むしろ暗い森のほうを詳述し、パッと赤い色を見せるほうが、読者には印象鮮明に感じられるのだという。たしかに子規の言うとおりである。今では常識的といえるが、約百二十年前に、写実的な表現を読んだ読者がどのように反応するかを真剣に考えていたことはとても興味深い。
前田愛の『近代読者の成立』によれば、明治初期の読書は、集団で音読することが中心であった。寄宿舎では男子学生たちが一緒に朗読し、家庭では父親(家長)が妻や子に読み聞かせるという情景が一般的だったのだ。ざっくりと言えば、プライベートが存在せず、独りで表現をしみじみと味わう機会がなかったわけである。
しかし印刷技術が発達して本が手に入れやすくなると、一人で黙読する読書の形が定着し、「近代読者」が誕生するのである。つまり「読者」とは、明治中期に新しく認識されるようになった概念なのだ。
前田愛は、ツルゲーネフの『あひびき』を読んだ明治の青年の感想を引用している。孫引きだが書き写す。
「(略)「あひびき」の自然描写はこれがまた私には驚異であつた。こう云う自然そのものの足音や、ささやきまでも聴きとれるやうな、美しい描写は、とうてい人間わざとは思われなかつた。」※仮名遣いママ
(青野季吉「明治の文学青年」)
自然描写を読んで、心に沁みる感覚を持つには、一種の孤独感が必要なのである。おおぜいで音読する状況では、花の様子が丁寧に描かれていても、あまり心に響かない。自然描写から感動が生じるには、静かな個人的な空間が不可欠だったのだ。
子規の読者意識は、こうした明治時代の状況をやはり反映しているのではないだろうか。子規は新聞『日本』の記者として、詩歌に関する文章を発表するようになる。旧来は、上流階級のたしなみであった和歌の読者が、一般庶民に拡大していく動きを、子規は敏感に察知していた。
そうした読者の変容の中で、子規の理想とする歌――さりげない情景を淡々と描写した歌――から、豊かな味わいを引き出してくれる〈新しい読者〉を、子規は創り出さねばならなかったのである。
春の夜の衾
(岩波文庫『子規歌集』)
この歌も、前述した〈薄暗い森の中の赤い椿〉と同じような方法で作られている。衾(寝具)を敷くために植木鉢を部屋の隅に寄せるという行動が詳しく描かれる。そのため読者は、子規の部屋をのぞいているような臨場感に誘いこまれる。いきいきとした場が作られることで、紅梅の色がくっきりと目に浮かぶのである。
短歌を読み、いま目の前に情景があるかのように感じてくれる読者が、写実短歌の進展のためには必要だった。坪内逍遥は『小説神髄』で、
「さながらの真物
と書き、小説の読者にリアルな感覚を抱いだかせることの重要性を説いている。それと同じく、短歌においても、言葉で描かれた世界を「真物のごとく」感じる読者が求められていた。
そうした読者は、今では普通に存在する。しかし明治期は読者のあり方が今と大きく違っていた。子規の和歌革新は、読者の革新だったのだ、という視点は重要なのではないか。