青蟬通信

「青蟬」という語について / 吉川 宏志

2024年9月号

 私の第一歌集のタイトル『青蟬』は、大学の図書館で分厚い漢和辞典を引いているときに、たまたま見つけた言葉であった。ヒグラシの意味とあり、用例として「青蟬独噪日光斜。」(李賀りが)とだけ書かれていた。
 私が当時住んでいた学生アパートは山に近く、晩夏の朝夕になるとカナカナカナという声が窓から流れ込んでくる。「独噪日光斜」とは、夕陽が斜めに射すころに、一匹のヒグラシが大きな声で鳴いている様子を描いているのだろう。それはとても親しみを感じる情景だった。「青蟬」の文字も美しく、私はこの詩句にたちまち惚れこんでしまったのである。
 一九八〇年代以降の第一歌集は、『サニー・サイド・アップ』(加藤治郎)や『シンジケート』(穂村弘)のように、カタカナのタイトルが多い。流行からは遠かったけれど、「青蟬」という語をどうしても使いたかった。本来は「せいせん」なのだが、「あおせみ」と訓読みにした。上野久雄の『夕鮎ゆうあゆ』という歌集がとても好きで、その影響があったことは間違いない。高樹のぶ子の『蔦燃つたもえ』という小説も当時読んでいて、漢字二字で訓読みの題名を、自分の本にも付けたかったのだった。
 ほんとうは李賀の詩の全体を引用したいのだが、漢和辞典に載っている部分しか分からない。李賀の代表的な詩を抄出した本を読んだのだが、見つけることができなかった。それで仕方なく、「青蟬独噪日光斜。」という部分だけを、歌集の巻頭に記しておいた。
 「青蟬」という語を知っているのは私くらいだろうと思っていたら、山中智恵子の『紡錘』(一九六三年)の最初の章の題が「青蟬」であることに後になって気づき、衝撃を受けた。なぜかこの章に「青蟬」の語を使った歌はないが、次の章に、
  まなざしに堪ふることつひに罪のごと青蟬せいせんは湧く杜を帰らむ
という歌がある。厳しい視線に耐えた後の帰り道、心を癒すようにヒグラシの声が響いてきたのだろうか。
 山中智恵子がいかに中国の古典から摂取しているか、改めて思い知ったのだった。
 二十七歳で早逝し、「鬼才」と呼ばれた李賀の詩を好む人は少なくない。
  「更にう一年の秋」水湛え遠ざかるのみの背は夢に見し
                         永田和宏『メビウスの地平』
は、李賀の「七夕」という詩の一節を引用した浪漫的な一首である。
 また、「陳商に贈る」という詩の「二十 心すでに朽つ」(二十歳で心はもはや朽ちている)という句もよく知られている。
 さて最近、近所の古本屋の店先を覗くと、『李長吉歌詩集』(岩波文庫・鈴木虎雄注釈)の上下セットが四百円で売られていた。「李長吉」とは李賀の別名。初版は一九六一年である。「青蟬」の詩を調べることを、私はずっと忘れていた。この機会に探してみよう。
 初めからページをめくっていき、上巻の真ん中ほどで、目当ての詩に逢着した。「南園十三首」の「其三」であった。「南園」とは、河南かなん省洛陽市にあった李賀の生家を指すらしい。
  竹裡ちくり糸をりて網車もうしゃかか
  青蟬せいせん独りさわぎて日光にっこうななめなり
  桃膠とうこう夏をむこう 香琥珀こうこはく
  みずか越傭えつように課してうり

 大意は次のとおり。
 ――竹林の中に、蚕の糸を巻きつけて網のようになった車がかかげられている。ヒグラシが一匹騒ぎ、陽は傾いている。桃の木から樹液が沁み出て、琥珀の色に香る。自分は浙江せっこう省から来ている労働者を使役して、うまく瓜を植えることができる――
 田園風景が具体的に描かれ、遠い中国の地なのだけれど、懐かしい美を感じてしまう。三行目の「桃膠」は、桃の木の樹液がゼリー状に固まったものらしく、中国では食用にもされているという。四行目には出稼ぎの労働者の姿が描かれ、農村の現実が見えてくる。そうした場面は、現代の農業でも見られるものだろう。
 『青蟬』を刊行して約三十年が経ち、ようやく出典に邂逅することができた。それがとても嬉しく、ちょっと恥ずかしいことなのだけれど、正直に書いておくことにする。

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