俊成の「昔を思ふ心」 / 吉川 宏志
2025年3月号
藤原俊成について話をするため、久保田淳の『藤原俊成 中世和歌の先導者』(吉川弘文館・二〇二〇年)を再読した。五百ページ近くあるので、初読では見落としていたことが幾つもあり、二度、三度と読むことの重要さを再認識した。時間がなくて、なかなか難しいことだが……。
俊成は八十歳のとき、妻の美福門院加賀を亡くした。この人は、藤原定家の母である。俊成は、妻の死を幾つもの歌に詠んでいるが、その中に、
山の末いかなる空のはてぞとも通ひて告ぐるまぼろしもがな
という歌がある。この「まぼろし」とは、魂を探すことができる幻術師の意味。「遠い山の果ての空にも通って行って、死者に言葉を伝えてくれる幻術師が居ればいいのに」という思いが歌われている。
この一首は、『源氏物語』の桐壺帝が詠んだとされる、
たづねゆくまぼろしもがな つねにても魂
の本歌取りであった。「死の世界を訪ねてくれる幻術師はいないかな。人づてであっても、魂がどこにあるのかを知るために」という内容。
つまり俊成は、妻を失った悲しみを、『源氏物語』の世界に重ねて表現しているのだ。久保田淳は、そんな心の機微を、次のように語っている。
「愛する人を失った後の残された人々――たとえば桐壺帝(略)――の心にほとんど同化するような歌い方をし、また行動している。」
「その時、現実と物語や詩歌の世界を隔てる壁はなくなっている。」
これは特異なことのようだが、テレビドラマの登場人物の恋愛をなぞるように自分も恋をする、といったことは、現在でもよくありそうだ。
ありのままの現実の自分を描くのではなく、『源氏物語』の中の人物のような、美しい生を演じようとする。そんな意識があったことを知ると、古典和歌はとても理解しやすくなる。
ただ、そこに俊成の個人的な悲しみがなかったわけではなく、やはり痛切な思いがこめられていた。よく、近代以前の和歌には〈私〉が存在しなかった、と軽々しく語る人がいるが、それは乱暴な発言だと思う。
しめおきて今やと思ふ秋山のよもぎがもとに松虫の鳴く
久保田淳は、
「俊成も今にも訪れる死の用意として定めた墓所の蓬の根元で、自身を待つかのように鳴く松虫の声を聞いているのである。」
と解釈する。「しめおきて」は、土地を買い占めた、ということだろう。老いた俊成が、自分の墓を準備している場面を想像すると、とてもリアルに寂寥感が伝わってくるのではないか。古い言葉なので、聞き取りにくくなっているが、真率な声は歌の中に潜んでいる。その声に耳を澄ますことの重要さが、久保田の歌の読みから納得させられるのである。
俊成は『千載和歌集』の撰者として、優れた歌を残すことに尽力した。
しきしまや道はたがへずと思へども人こそ別
「しきしまの道」とは、和歌の道のこと。自分は道を間違っているとは思わないけれど、人間には判断できない。歌の神だけが分かっているのだろう、と俊成は述懐する。
この気持ちはすごくよく分かるのだ。自分では、歌の善し悪しを間違いなく見分けられると信じている。しかし、歌の歴史を振り返ると、当時は厳しく批判された歌が、じつは非常に優れていたということは、何度も起きている。塚本邦雄の『水葬物語』などが好例だろう。
どの歌が本当に良いのかは分からない。それでも最善だと思う選択をするしかない。そう覚悟しているところに、俊成の誠実さが見える。
ゆくすゑはわれをも偲ぶ人やあらむ昔を思ふ心ならひに
自分が昔の歌を真剣に思っているのと同じように、私の歌を思い出してくれる人は、きっといるだろう、と歌う。俊成は、未来の読者を信じていた。そのために、自分の歌の仕事が無駄になるかもしれない、とは思わなかった。自分と似た人は、将来にもきっと現れる。その人に向けて歌を作っているのだと思うとき、虚しさを、つかのま忘れることができる。