青蟬通信

シュルレアリスムと玉城徹 / 吉川 宏志

2024年10月号

 今年はアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(一九二四年)からちょうど百年。角川「短歌」九月号では、「シュルレアリスムと短歌」という特集が組まれている。三枝昻之が取り上げているが、
  ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる
                            前川佐美雄『植物祭』
は、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の「(青年は)ミシンと雨傘が解剖台の上で、はからずも出会ったように美しい」という一節から摂取したものであろう(ロートレアモンは、一八七〇年に亡くなっている詩人だが、シュルレアリスムの勃興とともに再評価されたという)。『植物祭』は一九三〇年の刊行だから、じつに素早くシュルレアリスムを吸収していることに驚かされる。
 シュルレアリスム宣言といえば、私は次の歌を思い出す。
  シュルレアリズム宣言の年にれたりき城え落つる夜の兵士たりき
                               玉城徹『樛木きゅうぼく
 一九七二年の歌集より。玉城は一九二四年に誕生している。年譜には、一九四五年三月二十日、広島県福山市の陸軍船舶機関砲部隊に入隊と書かれている。この年の八月八日の福山大空襲で、福山城の天守閣が焼失した。「城炎え落つる」はそのことを指しているのだろう。
 だが、それだけの意味ではないのかもしれない。『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫)を読むと、「城」に関する記述が出てくる。そこにはシュルレアリムの芸術家たちが集まり、近所ではピカソが狩りをしていた、という。
「それにしても、私が案内してさしあげているこの城、これはほんとうに、イメージにすぎないといえるだろうか? (中略)彼らの気まぐれこそは、この城に通じるかがやかしい道なのだ。そこにいるとき、、、、、、、、私たちはまさしく幻想のままに生きる。」
 つまり、シュルレアリストたちが活躍する場を「城」にたとえているのだ。玉城徹は、この「城」も意識していたのではないか。自分が生まれた年に夢想された〈芸術家が集まる城〉。しかし彼は兵士になり、空襲で焼け落ちる現実の城を目撃することになった。芸術が徹底的に弾圧された時代に、青春期を送らねばならなかった不幸が、この歌の背後にある。もしかしたら、燃えてゆく城に、超現実的な美を感じていたのかもしれない。
 この歌の後には次の二首が続く。
  あをあをとわが内臓の煙るまでひとりをりけり朴の木の下
  ケルビムの翼といづれ東洋の厚朴ほほの広葉の風に鳴る音

 これらは玉城の解釈によるシュルレアリスムなのではないか。目に見えない自分の内臓の青い色を描く一首目は、ブルトンのいう想像力の自由な発揮によって生まれている。
 二首目の「ケルビム」は、智の天使の名前。西洋の天使の翼の音と、東洋の朴の葉の音が重ねられている。これは「かけはなれた二つの現実の接近」(「シュルレアリスム宣言」)を実践したものだろう。ブルトンは、二つの現実の出会いの偶然性を重視する。玉城の歌は、かなり意図的なので、厳密には別物なのかもしれないが。
 さて、「シュルレアリスム宣言」を読んでおもしろかったのは、次のような部分だった。ブルトンは「窓でふたつに切られた男がいる」という言葉をたまたま思いついた。すると、
「体の軸と直角にまじわる窓によってなかほどの高さのところを輪切りにされて歩くひとりの男の、ぼんやりとした視覚的表現があらわれた」
という。
 これはよく分かる気がする。直観的に思い浮かんだ言葉が、後から映像を引き寄せるということは、短歌でもよくあるのではないか。物が先にあってそれを言葉で描写するのではなく、表現が先に生まれ、意味や感情などが後で作られることもあるのである。詩歌の魅力は、そうした順序の逆転によって生じてくる。
  夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし
                              玉城徹『樛木』
 たとえばこの歌も、比喩が先にあって、それに引き寄せられるように夕暮れの情景が目に見えてくる歌なのではないかと感じるのである。

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