青蟬通信

『源氏物語』と競争 / 吉川 宏志

2024年8月号

 岩波文庫の『源氏物語』㈤を、ぱらぱらとめくっていると、以前に赤線を引いた箇所が目に留まり、遠く離れたところと響き合っていることに気づき、はっとさせられた。
「いとたいだいしきことなり。宮仕みやづかへの筋は、あまたあるなかに、すこしのけぢめをいどまむこそ本意ほいならめ。そこらきやうさくの姫君たち引きめられなば、世にはえあらじ。」 (「梅枝」p.36)
 光源氏は、娘の明石姫君あかしのひめぎみ入内じゅだいさせようとする。それを知った他の貴族たちは、源氏の娘に勝てるわけがないと思い、自分の娘を入内させるのをやめてしまう。それを聞いた源氏が言うセリフである。
「まことに困ったことである。宮仕えは、多くの者がお仕えしている中で、わずかな優劣を競い合うことが本来のあり方なのだ。大勢の優秀な姫君たちが家に引き留められてしまっては、世の中から輝きがなくなってしまうだろう。」
 そう言って、明石姫君の入内を延期する。源氏は、今でいう競争原理について語っている。優れたものが競い合う状態にないと、世の中は繁栄しないと考えているのである。
 源氏は別のところで、親の権力を笠に着て、学問をしないのに宮中で出世する若者を厳しく批判している。(岩波文庫『源氏物語』㈢「少女」p.426)。源氏は実力主義であり、能力がないのに高い地位に座っている人々に不快感を持っているのである。当時の貴族たちは『源氏物語』をどんな気持ちで読んだのだろう。ときどき、刃のような言葉が潜んでいることに気づき、ひやりとしたことがあったのではないか。
 それから八年後、源氏の妻の紫上むらさきのうえは病のため重態に陥る。どうやら物ののしわざらしい。懸命に加持祈禱を行うと、物の怪が正体を現し、十八年も前に死んだ六条御息所ろくじょうのみやすどころの霊だと分かるのである。彼女の霊は嫉妬心のあまり成仏できず、下界をさまよっていた。源氏が彼女を思い出して「親しみにくい女性だった」と語ったために、紫上にりついて殺そうとしたのだった。
 ショックを受ける源氏の前で、六条御息所の死霊はこう語る。
「中宮にも、このよしを伝へたまへ。ゆめ宮仕へのほどに、人ときしろひそねむ心つかひたまふな。」 (「若菜下」p.534)
 この中宮とは、六条御息所の娘である秋好あきこのむ中宮のことである。
 死霊は、「宮仕えの際には、人と競争し、妬む心をけっして用いてはならない」と娘に伝言するように頼むのである。源氏が中宮にこの言葉を伝えたかどうか、『源氏物語』には書かれていない。
 ここから、現代にも通じる大きな問題が浮かび上がってくる。源氏が言うように、競争原理が働かなければ優れたものは生まれないというのは、確かに正しい。しかし、実際に競い合う者たちは嫉妬に苦しみ、敗れた者は世の中を恨みながら滅びるしかない。それでいいのか、と六条御息所の霊は反駁しているのだ。
 こうした人と人とが競合するという構図は、『源氏物語』にしばしば登場する。紫上も、源氏が年取ってから迎えた女三宮おんなさんのみやと競わざるをえない立場になる。
 紫上自身は気にしないように努めていたが、周りにいる人々が競争を煽り、無責任に楽しもうとするのだ。他人が争うのを見て、憂さを晴らそうとする気持ち。それは現在の我々も、同じように持っているのではないか。
 紫上は、複雑な思いを抱きつつも女三宮と親しく交際し、争いになるのを回避しようとする。
「又やすからず言ふ人々あるに、かくにくげなくさへ聞こえかはし給へば、事なほりてめやすくなむありける。」 (「若菜上」p.266)
 それでも険悪だと言いふらす人がいたが、とても仲良くしているので、そんな噂は消えていったというのである。
 公正な競争が行われるのは社会にとって必要なことだ。競争で人が傷つくのは、それを囃して眺めている周囲の人間たちが原因なのではないか――紫式部は、そのようなことまで考えていた気がする。

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