百葉箱2025年9月号 / 吉川 宏志
2025年9月号
君は来た来たことは来たこれ以上待てば立葵になる寸前に
北島邦夫
「来た」の繰り返しに勢いがある。ずっと立つ様子を「立葵」の比喩で捉えたのも面白い。
わらび餅のきな粉を口にAmélieは埃みたいと眉を顰めたり
近藤真啓
きな粉に違和感を持つ外国人の表情がリアルだ。
胃カメラを通す口開け眠りゆく自分の知らない世界が自分
矢澤麻子
自分では分からないのに「自分」と呼んでいる奇妙さ。
膝抱へ大腸検査に呻きゐる 蛙に麦藁刺したる報ひ
加藤 宙
これも内臓検査の歌。かつて虐めた蛙が思い出され、怖い。
拓といふ字を名に付けて願ひしはジャングル分け入ることにはあらず
潔 ゆみこ
息子は海外でジャングル探検をしているのだろう。予想外の成長を心配する思いが伝わる。
作業服越しに光の噛みつく日となった 今年は六月七日から夏
徳田浩実
上句は破調だが「噛みつく」に戸外の暑さの実感がある。
声が聞きたかっただけだよそう言うと沈黙返してくる男なり
山田恵子
ちょっと意地悪なのか寡黙なのか。男に存在感がある。
陽に透けて青き葡萄に種が見えジベレリン処理失敗したり
西村清子
種なし葡萄を作ろうとしていた。上の句の描写が繊細。カタカナ語も印象的である。
裁判所前の母子像子の瞳に母の姿は映りておらず
亘 ゆり
位置的に母と子が向き合っていない銅像なのだろう。裁判所なので、やや皮肉に感じられる。
鎖樋
横井典子
鎖樋の雨という題材が印象深く、哀感がにじむ。「友に」の「に」の助詞もよく効いている。
数学の軌跡の授業思い出す夜道にホタルは点Pとなる
島本純平
蛍の光が「点P」と見立てたのが、洒落た表現である。
びつしりと早苗は根を張る箱中に五百枚運べば両肩痛し
福島美智子
田植え前に箱で苗を育てる様子。五百枚という具体が良く、労働の大変さが伝わる。
眩しさを受け止めながら少しずつ伸びゆく藤は初夏の前髪
小金森まき
藤が「初夏の前髪」だという比喩がみずみずしい。
選択肢の数と迷いは比例して画面に重なる人差し指跡
山口淳子
液晶画面にたくさん残る指の跡から迷いを感じている。やや概念的だが、考えさせられる歌。
ピアノ開け鍵盤カバーは畳む派と丸める派おり伴奏係
井芹純子
非常に細かい点に注目し、面白さを生み出している。
姫りんごぶつけて君と別れたる十九年のち君の死に遭う
海野青葉
劇的な別れと、長い時間を経た後の喪失感。「姫りんご」が効いていて、強い色彩感を残す。
樹木葬の筒に遺骨は二体まで「おんぶの形」と墓園の人は
髙鳥ふさ子
遺骨を上下に詰めるのだろう。「おんぶの形」という言葉が、どこか生々しく恐ろしい。
この年は巳
藤 かをり
似た漢字が三つ並び、シンプルながら楽しい一首。
旗か帆か Tシャツをはためかせつつ坂道を下りくる人が恋
平井 環
初句切れでスピード感がある。恋人というより、恋そのものなのだ、という思いであろう。
踊り場の隅に溜まった埃でも見ながら気長に待ってあげるね
百沢たかみ
柔和な言葉が心に沁みる。情景が目に浮かぶのもいい。