百葉箱2016年11月号 / 吉川 宏志
2016年11月号
お母さん怒っているのと寝る前に聞きに来る子よ母も父もだ
井上雅史
父親は味方だろうと思って、甘えにくる幼い子。そんな子を叱りながらも、内心では少しおもしろがっている(多分)。結句にどこかユーモアがあり、家族の機微が豊かな一首。
二重奏の楽譜めくりは弓をひく間にみづから 小指にひらり
竹内真実子
バイオリン(チェロかも)とピアノの二重奏。バイオリニストが独奏しているときに、ピアニストが譜面を素早く捲る。それも小指で。短い言葉で、一瞬の動きを的確に捉えていて、軽やかな美しさがある。
消防車のミニカー離さぬ幼子を預けたる帰路本物に遇う
鈴木 緑
ミニカーを離さない子どもの動作には、不安もにじんでいるのだろう。そんな子を保育園に預けた帰り道、真っ赤な消防車に遇う。事実だけを歌っているようだが、幼い子を育てているときの、ひりひりとした感覚が伝わってくる。
「ちゃん」つけて息子の名前を呼ぶ義母に胡瓜もらいて夕餉をかざる
宮本 華
子離れができない義母への、複雑な思いがこもる一首。結句の「かざる」がやや目立つが、屈折感の表れともいえよう。
廃校は引き潮のやうに音もなく文房具屋などを辻から消した
河野純子
少子化の現在、しばしば見る風景である。学校がなくなるとともに寂れてゆく町。「引き潮」の比喩に納得させられる。
くれなゐが闇を置き替ふああ町だ、ぼくが生まれなかつた方の
有櫛由之
やや難解だが、印象鮮明な歌である。上の句は朝焼けの描写だろうか。もし自分が生まれていれば、と思う町は、誰でも持っているもの。そんな幻想の町への憧れが歌われているのだと思う。