百葉箱2016年3月号 / 吉川 宏志
2016年3月号
シングルマザーの軍人も実は多いの、と母が電話に話すアメリカ
小川和恵
上の句の内容に静かな衝撃を受ける。アメリカの影の部分を語るときの「実は」という一語に、会話のリアリティが生じている。作者と母の関係も重ねられ、いろいろと考えさせられる一首となった。
雪平の持ち手をまたぎ黒猫は冬のはじめの空を見上げる
片山楓子
なんでもないことなのに、妙に惹かれる歌がある。上の句の「持ち手をまたぎ」に、いきいきとした猫の動きがあらわれているためだろうか。モノクロの色彩感も豊かな歌だ。
花の鉢値切りしことを悔いてをり幾許も利はなかりしならむ
唐木よし子
これも些事を詠んでいるが、共感させられるものがある。引き締まった文語がよく効いていて、心理の襞が明瞭に感じられる。
鉛筆やノートをかじると書く事を取り上げられた母九十歳
さつきいつか
「書く事」が命の支えなのに、それさえ取り上げられてしまう。介護の現場の痛みが伝わる。
脛の毛にうまれし泡のつぶあまたやさしくふれて湯に子はあそぶ
小林貴文
父親の脛の毛に泡ができているのだろう。子と風呂に入る場面が、簡明にとらえられている。「やさしく」がやや言い過ぎなのが惜しい。
丘の上は分水嶺なり水を分け季節を分けてそこからは冬
岡崎五郎
繰り返しのリズムが軽やかで、爽やかな印象を受ける一首。結句にも童話のような明るさがある。
今月は他にも採りたい歌が多かった。二首ほど引用しておきたい。
霜の朝「速度落せ」の文字の上セグロセキレイちろちろ歩く
長谷仁子
臨月の腹よりゆつくり入りゆく娘は回転扉の中へ
澤井潤子