青蟬通信

熱海歌合のこと / 吉川 宏志

2015年10月号

 大森静佳さんが八月号の短歌時評で、『短歌パラダイス』(小林恭二・岩波新書)のことを書かれていて懐かしかった。一九九六年、熱海の旅館に泊まり込みで行われた二十四番歌合の記録で、岡井隆、三枝昻之、永田和宏、小池光、河野裕子、加藤治郎、水原紫苑、俵万智、穂村弘など、二十人の歌人が参加した。
 私は当時二十七歳で、錚々たるメンバーの中で、すごくひりひりした気分だったことを憶えている。
 普通、歌合は一対一で戦う。一日目はそうだったのだが、二日目に三チーム対抗の歌合を行うことが発表された。題も発表され、その夜のうちに詠むことになったのである。私は「昔」などの題の担当となった。
 このときのプレッシャーは本当にきつかった。私は一日目の歌合で負けてしまったので、二日目はやはり勝ちたい思いがあった。ただ、そういう思いが出ると、歌は作れないものなのだ。どこかで無心になることが、作歌では大切だと思う。
 寝転んでうんうんうなっていると、岡井隆さんがにやにや笑いながら「もっと苦しめ」と言って、通り過ぎていったことを思い出す。
 加藤治郎さんも、横で作歌していたのだが、両手を不思議な形に動かしながら、ぶつぶつ言っている。後で分かったのだが、
  洗われて手にひえている精巣をすべて無邪気な季節のために
という歌を作っていたらしい。精巣を手に載せているイメージを思い浮かべていたのだろう。加藤さんの歌には、不気味な手触りをもつものが多いが、こういうふうに想像しながら作っているのか、と感心した。
 さて「昔」という言葉を深夜までずっと反芻していたのだが、ふっと「昔からそこにあるのが夕闇か」というフレーズが出てきた。自分でも意味がよく分からないのだが、何となくおもしろそうな気がする。それに合う下の句をいろいろ考えていると、なぜかキリンの姿が浮かんできた。赤ん坊を連れて京都動物園にいったことが、連想のきっかけになったのかもしれない。
  昔からそこにあるのが夕闇かキリンは四肢を折り畳みつつ
 小池光さんに、こんなのができたのですが、と持っていくと、「うむ。これでよろしい。」ということだった(本当にこんな感じの会話だった)。
 さて、歌合のときの批評だが、小池さんは次のように話されて、今でもありありと憶えている。
 「〈夕闇〉というモノがあるんだね。それはずっと昔からあるんだけど、昼間は見えないんだ。でも夕方になると、姿をあらわすんですよ。キリンの脚の下なんかにさ。」
 私は無意識のうちに歌を作っていたのだけれど、その発想の奥にあるものを言語化されたようで、身体が震えるような衝撃をおぼえた。昼間は見えないが、いつもそこにある夕闇。小池さんと私の間で、一つの物語が創られたような感動があった。
 不思議なことに『短歌パラダイス』では、小池さんのこの批評はカットされている。『短歌パラダイス』では、小池さんが「キリンが肢(あし)を畳んでうずくまっている場所が、夕闇の原形であるということを言ってるんだよ」と言ったことになっているが、これだと思わせぶりな言い方になってしまう。実際はかなり違う批評だったことを書き記しておきたい。河野裕子さんも『私の会った人々』の中で同様のことを述べている(一四一頁)。
 歌の批評は、川にある飛び石を順に渡るのに似ている。歌に詠まれている言葉や方向性は必ず踏まえなければならない。飛び石のないところに行ったら、川の水に溺れてしまう。ただ、どのように飛ぶか―高くか低くか、速くかゆっくりか、など―は、読者に任されている。また、歌によっては飛び石が途中でなくなっていて、向こう岸へ渡れないときもある。そんなときは、「渡れない」と正直に告げることも大切だろう。
 歌に詠まれた言葉をしっかり踏まえて読む。それだと単一の読みしか生まれてこない、と思う人がいるかもしれない。しかし、それは違う。読者によって、さまざまな飛び方が可能なのである。それが短歌の豊かな読みを生み出してゆくのだ。

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