青蟬通信

大日本歌人協会解散事件 / 吉川 宏志

2020年12月号

 昭和十五年(一九四〇年)だから、ちょうど八十年前に、大日本歌人協会の解散事件が起きた。大日本歌人協会とは、北原白秋、土岐善麿、土屋文明、釈迢空などを理事とし、多くの歌人が所属していた団体であった。
 昭和十五年九月、首相となった近衛文麿は、大政翼賛会を発足する。国民のすべてが、戦争を推進する国家のために協力しなければならない、という全体主義に基づくものであった。そのため〈個人主義者〉や〈自由主義者〉も、厳しく弾圧を受ける対象となったのである。個人主義や自由主義を、現在の私たちは、当たり前のように尊重しているが、八十年前には、罪悪と見なされていたことを知っておく必要がある。
 政府や軍の動きに、歌人の中にも呼応する者が出てくる。同年十一月に行われた大日本歌人協会の臨時総会では、元軍人である歌人により、〈自由主義者〉を排撃する演説が行われ、国家に非協力的な歌人が含まれているという理屈で、協会の即時解散が勧告されたのである。
 そして、袱紗(ふくさ)に包まれたもの(その中に、〈自由主義者〉である歌人の名前が書かれたリストが入っていたらしい)を見せつけて、このままだと逮捕者が出るぞ、という脅しも行われたのだった。
 「解散するには規約に従って多数決によるべきだ」という意見も出たが、「多数決などは旧体制だ。われわれは理念によって行動する」と怒鳴りつけられたという。ルール無視の強圧的な手段で、解散させられたのである。このときの状況は、木俣修の『昭和短歌史』や篠弘『戦争と歌人たち』、三枝昂之『昭和短歌の精神史』などに詳しく書かれているので、興味のある方は、ぜひ読んでいただきたい。その後、歌人たちは戦争協力に邁進していくことになる。
 「昭和史の汚点」(『現代短歌大事典』)といわれる出来事を改めて書いたのは、今起きている日本学術会議の新会員の任命拒否問題と、構造がよく似ているからに他ならない。
 今回、任命拒否された六人は、安保法制などで政府に反対していた学者である。菅首相はまともな説明をしていないが、政府に忖度するように、「国の方針に逆らう学者は、排除すべきだ」という妄説が、社会の中から生まれてきている。それは、国家に非協力的な〈自由主義者〉を排斥せよ、と国民が率先して言い出した八十年前の潮流と相似しているのである。
 もちろん現在の政府は、批判する者を露骨に弾圧したりはしない。しかし、メディアやネットなどの情報を用いて、「国のやることに反対する者は、どんどん非難していい」という空気を作り出すことに長けている。日本学術会議は民営化すべきだといった論が突然出てきたのも、その一例といえよう。まさに解散勧告と同じ。やり方が非常に狡猾になっているのだ。学問や研究は自由であるべきなのに、その自由を徐々に狭めてゆく動きに、私は強い危機感をもつ。
 学者や芸術家などが、自ら団体を作って自治を行うことは大切なことだ。それによって、政治や経済とは異なる価値観を、力強く提示することができるのである。その中で権力争いなどの問題が生じることもあるかもしれない。それでも、政治権力がそれを利用して組織に手を突っ込んでくるのは、非常に危険なことだ。おそらくそれは、社会全体の自治が奪われる予兆的な出来事なのである。
 そもそも、以前の国会答弁で、日本学術会議が推薦する人をそのまま任命すると明言していたのに、任命拒否したことは、明らかに道理に合わない。それをさまざまな詭弁でごまかそうとしている。これは日本語の信頼性を毀損する行為だと思う。
 無茶苦茶な言い訳で、ルール無視することが国会でまかり通るのなら、一般社会でも、強者が弱者との約束を破ることが咎められなくなるだろう。私は、詩歌に関わる者として、日本語が蹂躙されている現状に、許しがたい怒りを覚えるのである。
 現代歌人協会と日本歌人クラブは、共同して「日本学術会議の新会員任命拒否に反対する声明」を十月二十六日に出している。インターネット上で公開されているので、多くの人にぜひ読んでほしいと思う。

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