百葉箱

百葉箱2026年3月号 / 吉川 宏志

2026年3月号

  ワインレッドの報道官と背骨き子を抱く母のよはひ近からむ
                            伊藤京子

 アメリカのレビット報道官だろう。ガザの女性とはあまりに違う境遇の格差に、言葉を失う。
 
  握りしめるほど固くなる雪に似て人との距離が縮まらなかった 
                              星野綾香

 親しくしようとするほど態度を硬化させる人もいる。比喩に手触りがあり、印象に残る。
 
  ふかき夜の居酒屋を出づ琵琶マスの刺身に添ひたるもみぢ葉を掌に
                                久次米俊子

 琵琶マスのおいしさや美しさが、快く伝わる一首。
 
  CDが終わった後にCDが回転止める音を聞きおり
                         山名聡美

 曲の終わりと機械音のズレを捉え、繊細な面白さがある。
 
  搔きあつめ袋につめた落葉から夜のしじまに虫鳴きはじむ
                            歌川 功

 袋に詰められ処分されるのを知らず、鳴く虫が無慚である。
 
  素足にて床板踏めば骨に触るる感じあり足裏のしし落ちにしか 
                             松井 滿

 破調のリズムも効果的で、なまなましい身体感覚がある。
 
  新年会参加費一人五千円社員も派遣も同額 あほくさ
                          平田あおい

 漢字をつなげてきて、結句のひらがなが強烈な皮肉。
 
  安珍があんのようなる饅頭の試食はせずに店を出でたり
                           加藤泰代

 道成寺に安珍つりがね饅頭が本当にあるらしい。悲劇を土産物にすることへの違和感。
  (※編集註 作者名はシステムの制約により「泰」で表示。本来は上部横棒が点2つ) 
 
  暗闇に駱駝のこぶを浮かばせるかがり火に白い羽虫が群れる
                             川端和夫

 アフリカの実景らしい。闇と火の神秘性が感じられる。
 
  鉄砲の水の飛び交ふ湯舟から抱き上げて一人を洗ひ始める
                            堀尾美保子

 数人の幼子が風呂で水鉄砲遊びをしている場面。子との触れ合いがいきいきと伝わる。
 
  出張に来た父親と向かい合い雪降る街でホッケをつつく
                           水谷千代子

 子の住む北国に父が出張し、久しぶりに食事した場面。ホッケが印象的で、心に沁みる。
 

  アルバムを若い日々より見返してついには吾を夫と気づく
                            坪井孝之

 認知症なのだろう。淡々とした歌だが、共に過ごした時間を振り返る痛みが迫ってくる。
 
  尖塔に降り積もる雪のバランスで続く中身のない会話たち
                            真木 轍

 上の句の比喩がユニークで、会話の危うさが伝わってくる。
 
  筑波山と交合すれば身に宿る泥濘それを愛と呼ぼうか
                          鈴木智子

 強烈な謎がある。よく分からないが、語りたくなる歌。
  
  九時に寝て四時には起き出す人もいてシェアハウスめく吾等の暮らし  
                                 土井恵子

 一緒に住んでいるけれど、家を別々に使っているだけだ、という感覚。視点が鋭い歌だ。
 
  われを呼ぶ者などをらぬ昼 ぴぴぴ 電子レンジに呼ばれ椅子を立つ
                                 三好くに子

 擬音の挟み方が独創的で、リアルな淋しさがにじむ。
 
  出征し還らざるあり還り来しあり今はなき小暗き土間よ
                           多田眞理子

 終戦後の陰鬱な空気感まで伝わってくる歌。句またがりのリズムがよく効いている。
 
  人間は柔らかき臼冬の日の靴に挽かれし銀杏葉光る
                         竹内 亮

 臼の見立てが面白い。すり潰された葉の様子が目に浮かぶ。
 
  秋の日に流れるみづをペン先にあてるがごとく夕雲そよぐ
                            門哉彗遙

 水にインクが溶けて広がる様子に、夕雲をたとえた。動詞の使い方に工夫があり、美しい歌。
 
  左眼もやがて視えなくなると言ふ絵を描くあなたの左に坐る
                             やまもとうみ

 もうすぐ失われる視野の中に入っていたいという思い。柔和なリズムに悲しみがこもる。

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