青蟬通信

ゴッホの色彩表現 / 吉川 宏志

2026年3月号

 一月の初めに、神戸で開催されていた大ゴッホ展に行ってきた。
 「レストランの内部」という絵があった。印象派の影響を強く受けており、点描のような筆致で、無人のレストランのテーブルや椅子などが描かれている。ゴッホは独創的・天才的なイメージがあるが、先行する絵画を丁寧に学んでいる。やはり芸術では、他者の作品から養分を吸収することが大事なのだと改めて感じた。
 印象派の絵は、絵の具の色を混ぜずに画面に乗せていくことで、透明な色彩を感じさせる。この手法は「色彩分割」と呼ばれ、たとえば赤と青を近くに並べると、人間の目には紫色が見える。絵の具を混ぜると、色が濁って暗くなってしまう。混ぜないことで、明るい光を生み出しているのである(点描は、それを進化させた画法)。モネの絵が柔らかな光に包まれて見えるのはそのためだ。
 モネたちは、世界が光によって見えているままに、画布に写し取ろうとした。光そのものを描こうとしているという意味で、印象派は〈写実〉の究極だと言っていい。美術史学者の高階秀爾はこう書いている。
「ゴッホはたしかに、印象派の仲間たちから明るい色彩を学んだが、それは、モネやピサロがそうしたように、現実世界の持つ明るい輝きをカンヴァスの上に再現するためではなく、逆に、現実とは一目盛り違った精神的な世界を再現するためであった。彼自ら語っているように、彼は『自分の眼の前にあるものを正確に再現しようとする代りに、色彩をきわめて勝手気儘に使って自分を強く表現しよう』とするのである。」
                         『ゴッホ』(新潮美術文庫)
 ゴッホはやがて、強烈な色彩によって、自分の内部から溢れてくる情念を訴えるようになっていく。
 このように、色彩の新しい表現が登場することで新しい精神が生まれる現象は、近代短歌でも起きていたのではないか。正岡子規は、江戸末期の歌人・橘曙覧あけみの歌、
  今朝見れば赤きもみぢに霜降りて秋風寒しそばのかけ道
について、「『もみぢ』の上に『赤き』といふ形容語をかぶせ」るのは重複した表現だが、「霜の白さを強く現さんとの工夫なり」と述べている(「曙覧の歌」明治三十二年)。つまり、紅葉を強調するほど、その対照物である霜の白さも際立ってくるというのである。同年の子規の歌、
  青き山の青き木の葉と赤き山の赤き木葉とたがひちがひつつ
は、意識的に色を重複させ、色を対比させた歌であろう。
 だがそれはまだ、「眼の前にあるものを正確に再現しよう」とする試みにすぎなかった。子規の晩年の歌、
  くれなゐの梅散るなべに故郷につくしつみにし春し思ほゆ
には、色彩によって心情を伝えようとする方向性が感じられるが、それをさらに発展させたのは斎藤茂吉の『赤光』(大正二年)だと断定しても間違いにはならないだろう。
  納骨の箱は杉の箱にしてこつがめは黒くならびたりけり
  上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を

 たとえばこの二首が並べられている箇所では、色彩による心理的な効果が意図されている気がする。
 死の側の「骨がめ」は黒く、生の側にある「肉」は生々しい赤で描かれる。二首が対比されることで、さらに鮮烈な印象が読者の心に残っていく。まさに「現実とは一目盛り違った精神的な世界」が歌に現れてくる。色彩語によって、現実を描いた歌が幻想性を帯びることも少なくないのだ。
 日本人がゴッホを非常に好むようになったのは、明治四十三年から四十五年に、雑誌「白樺」で大きく紹介されたのがきっかけだった。窮乏生活の中で絵を描き続け、精神病院に入院したのち、ピストル自殺するという悲劇は、人々の心を激しく震わせたのだった。
  自殺せる狂者きやうじやをあかき火にはふりにんげんの世にをののきにけり
                            斎藤茂吉『赤光』
 精神病医であった茂吉が患者の死を詠んだ一首。火の赤さが印象深い。このとき茂吉は、痛ましい「にんげんの世」を生きた一人として、ゴッホも想起していたのかもしれない。

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