ラジカセという存在
こんにちは。
毎日夏ですね。当たり前ですが。
でも、当たり前のことが当たり前ではないことに気づくこの2020年です。
ラジカセの音量をMAXにしたことがない 秋風の最中に / 五島諭
たまたま入ったカフェでラジカセというものを久しぶりに見て、この歌を思い出しました。
ラジカセの音量だけではない。
自分の声も、短距離走も、長距離走も、恋も、友情も、すべて、
いつだって少しずつ気を遣って、ボリュームを下げている。
音量を下げた状態が日常化していて、
なにも感じないようになってしまっている、そんな静かな秋風が肌に触れているようです。
今年の秋風の最中には、どのような世界になっているのでしょうか。
秋は、まだまだずっと先です。
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