短歌時評

ノスタルジーと時代性 / 濱松 哲朗

2018年12月号

 二〇一八年は「平成最後」という謳い文句があちこちで話題となった一年だった。生前退位による元号の切り替えが迫ってきたことで、この三十年とは、〝平成時代〟とは一体何だったのか、という文章や企画が頻出した。こうした空気感は、歌壇の各総合誌や結社誌においても、恐らくこの年末年始と、元号が切り替わる来年四月下旬から五月上旬にかけてピークを迎えることだろう。
 三十年とは確かに切りの良い感じがする年数である。「戦後○○年」はもはや経験として語ることのできる人間が限られる年数であるし、反対に「○○年代を振り返る」という際の十年という区分では、事象の記述のみに終始して歴史化までには至らないだろう。あるテーマにおける受容と定着の歴史を鑑みても、第一世代(当事者)から第二世代(批判者または随伴者)、第三世代(批判を含めた受容者)に至るまでには三十年くらいを要すると見て良いだろう。言葉は悪いが、三十年とは回顧≒懐古するには実にちょうど良く、手軽そうに見えるのである。六月に開催されたシンポジウム「ニューウェーブ30年」(「ねむらない樹」創刊号に採録)や、「短歌研究」誌上の連続企画「平成じぶん歌」は、企画者・執筆者・読者のそれぞれにとって、平成の三十年が手軽に触れられる時間の単位として選択された証左である。
 ただ、切りの良さと手軽さは必ずしもイコールではない。筆者などは、実際に回顧≒懐古しようとしても、各人の記憶(mémoire)と全体的な記録(archives)との激しいせめぎ合いの中でむしろ途方に暮れてしまう。ある時点における変化を叙述する時、過去からの喪失や消失の経過として語られ得るものと、未来への創造や生成の過程として語られ得るものが同時期に併存していることはままあることで(例えば、いわゆる戦後派歌人の死去とライト・ヴァースの隆盛とは昭和六十年前後で重なっている)、また、同時代の同じ事象を扱っていても、それを終点として「これまで(=過去)」について語るか、あるいはそれを起点として「これから(=未来)」を語るかで、語りの様相はおのずと異なってくる。歴史(histoire)として語るためには、私たちの認識や実感がその時々に含有していた先入観やバイアスすらも、視野に入れておくことが求められるのだ。これは批評のみならず、作品においても同様である。
 では、変化・・時代・・に関する言説、または変化・・時代・・を描いた作品において、認識や読みを決定づけているものは何か。それはノスタルジー(郷愁:nostalgie)であると筆者は考える。
 ノスタルジーとは、不在のものに対する意識のあらわれであり、その感情の根底には時間的な認識、すなわち変化の知覚が含まれている。ここで言う変化とは、過去・・にかつて存在した(もはや存在しない)事象の喪失・・消失・・のことだけではなく、未来・・ における(いまだ存在していない、未完了の)創造・・生成・・をも含む。未来に対するノスタルジーと聞くと驚くかもしれないが、志向する先が限定的な過去であろうが無限的な未来であろうが、現在において存在しないもの・・・・・・・・・・・・・を志向し、追い求めようとする点で両者は共通している(こうしたノスタルジーの概念は、ジャンケレヴィッチ『還らぬ時と郷愁』に詳しい)。
 さて、こうしたノスタルジーの気分は、作品においてどのように提示され、如何にして共有されているのだろうか。例えば、穂村弘『水中翼船炎上中』(講談社)に、次のような歌がある。
  それぞれの夜の終わりにセロファンを肛門に貼る少年少女
 「蟯虫検査ということばを使わずに表すと、文脈からその行為が切り離されて、奇怪な儀式に見えてくる。それが異化ということです」(「家庭画報.com」二〇一八年十月九日更新分)という穂村の言葉通り、この歌の鍵は異化・・の手法にある。
 無論、異化の効果を狙った作品は穂村の過去の歌集にも見られる。しかし例えば「呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる」(『シンジケート』)や「目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき」(『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』)といった過去の穂村作品に見られた異化作用は、現実に存在する(あるいは存在しそうな)事物に対して、普遍性や一般化から免れた出来事や価値観を仮構し、それらの一回生や独自性(ある種のかけがえ・・・・のなさ・・・)を現実と衝突させることで成立していた。仮構に基づく異化は、現在(今、ここ)における認識の脱構築によって詩性を発揮する。『水中翼船炎上中』にも当然、この系列に属する作品は含まれるが、しかし「セロファン」の歌における異化はこれとはまた別種のものである。そして、『水中翼船炎上中』一冊においては、後者の異化の比率が圧倒的に高い。
  おいしいわいいわかるいわすてきだわマーガリンを褒めるママたち
  母が落とした麦茶のなかの角砂糖溶けざるままに幾度めの夏
  ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵のなかの火星探検
 女性語としての語尾の「わ」、トランス脂肪酸の健康への影響が指摘されている「マーガリン」、家で煮出した「麦茶」の中の「角砂糖」、「炬燵」の中の赤い空間を「火星」と比喩する意識に含まれた宇宙や科学への淡い期待と夢――。蟯虫検査の「セロファン」もこれらと同じカテゴリーに属すると言えよう(蟯虫検査は平成二十七年度限りでほぼ廃止されている)。これらは主に戦後の高度成長からバブル経済へと突き進んだ昭和の中期から後期という過去・・において普通に・・・受容され共有されてきた事物や感覚であり、換言すれば昭和的ないし戦後的象徴である。それらの過去の象徴が、現在の視点から異化を伴って回顧≒懐古されることで、強い違和感を発生させる。
 先のインタビューで穂村はこの歌集のテーマを「時間、それも自分が生きてきた昭和中期から現在までに流れた時間」であると述べる一方で、「みんなでユートピアをつくるつもりがいつのまにかディストピアになっていた」とも言う。実際、『水中翼船炎上中』には、ディストピア的現在を認識の起点とすることで生成された、ユートピア的志向を持ち得た過去に対するノスタルジーが多分に含まれている。例えば「マーガリン」「麦茶」「富士山」「炬燵」「水筒の蓋の磁石」等、同じアイテムの繰り返しは読者の印象の重層化や、作中の時間経過を意図的に作り出していると言える。しかし穂村の主眼は、アイテムの喪失にはない。穂村はここで、ノスタルジーを取り込みつつ、ノスタルジーの機能に含まれる過去への憧憬そのものを、ディストピア化した現在の時点から考察を試みる。そして、かつてのユートピア志向それ自体が異化されることで、ノスタルジーはもはや悪夢的な違和感の集合体と化す。
 加えて、この歌集においては、核家族の喪失の過程が重要な時間軸として設定されている。この極めて戦後的な家族構造は、「僕」の大人への変化・・成長・・ではない)と、「火星探検」以降に描かれる母の死や父の老いを通じて、ゆるやかに喪失されていく。
  食堂車の窓いっぱいの富士山に驚くお父さん、お母さん、僕
  ぱくぱくと口は動いているものを、おとうさん、おかあさん、ぼ
  ぱくぱくと口は動いているものを、おかあさん、おとうさん、ぼ
  真夜中に朱肉さがしておとうさんおかあさんおとうさんおかあさん
 一首目と四首目は、それぞれ過去篇(「楽しい一日」から「ぶご」まで)の冒頭と末尾に位置するが、ここで注目したいのは二首目と三首目(これも繰り返しの機能の一端である)における「ぼ」である。過去のユートピア志向を回顧するノスタルジーと、ユートピアとしてあり得たかもしれない未来を懐古するノスタルジーとの、二方向に引き裂かれた「僕」が戯画化されたもの、それがこの「ぼ」ではないか。「ぱくぱくと口は動いているもの」とはもはや現在の現象でしかなく、過去も未来もない。絶望によってノスタルジーが拒絶され、かつてのユートピア志向とともに過去が葬られることにより、現在や未来のディストピア性はより強固なものになる。実際、現在篇(「出発」「水中翼船炎上中」)で描かれる未来はあくまでディストピア的現在の延長・・線上にあり(「電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから」)、そこでは既に、知ること(自己の変化・・)への肯定感すら消失してしまっている(「ハミングって何と尋ねてハミングをしてくれたのに気づかなかった」)。
 付録の「メモ」で穂村は「家族の旅」の章を「二十一世紀初頭のパラサイトシングル像」と解説している。この文言から穂村のエッセイ群を想起する読者も少なからずいるだろう。無論、人生の流れと作品の配列とを同一化する近代の編年体的ないし全歌集的な作品提示に対して疑問を投げかけ続けてきた穂村が、易々とその手に乗るものとも思えない。これもやはり、近代を敢えて取り込むことで近代的志向そのものへの批判的考察を試みているものなのだろう。だとすれば、時代の価値観や志向についての違和感や批判意識を多分に含んだこの歌集が、平成の終わりという時代の節目に発表された意味は大きい。『水中翼船炎上中』は、ノスタルジーの仮面を被ったスパイであり、時代に対する刺客なのである。
 もう一冊、石川美南『架空線』(本阿弥書店)も、ノスタルジーの効果が発揮された歌集として挙げられる。
 『架空線』には、移動を伴った連作が多い。「私」の旅だったり(「沼津フェスタ」「出雲へ」)、他者の移動の記録だったり(「容疑者の夜行列車に乗車」「南極点へ」)、更には別の世界との遭遇だったり(「犬の国」「わたしの増殖」)と様々であるが、こうした自在さに、ひとつの物事にこだわらず常に変化・・してゆくこと、みずからを多様化・・・・させることへのしたたかさを感じると言ったら、少々読み過ぎだろうか。現実において出会う様々な事象と、想像上の事物、更には歴史上の人物や既存の文学作品に至るまで、石川は等しく向き合い、それらを作中で克明に描き出す。丁寧で自在な語りが、例えば「猛暑とサッカー」(『裏島』)や「祖父の帰宅/父の休暇」(同)に見られた連作の多人称性を支えていたとも言える。しかし、この歌集に限って言えば、語り手が震災以後の現在を生きている・・・・・・・・・・・・・・・・・という設定を前提とし、語り手の自在さが制限された状態で編まれた連作が、少なくとも三つ存在することが、大きな特徴として挙げられる。
  橋に佇(た)つ男はみんな川上を見てゐたりその眩しい橋を
  吐く息が凶器であつた わたしたち無関心きらきら決め込んで
  光るもの光らぬものを引き連れてオリンピックがまた来るといふ
 「川と橋」は歌集の冒頭、東京の川を周遊する舟に乗った際の連作である。ここでは、江戸時代以降現在に至るまでの「川と橋」における時間と、関東大震災の年に生まれた「祖母」に流れた時間とが、東日本大震災以降を生きる語り手(及び、舟に乗っている「私」)の時間において複層的に提示される。先述の穂村が「自分が生きてきた」時間を「僕」という主体によって描いたのに対し、石川はモティーフを通じて、個人を超えた時間の流れを想像力によって描こうとする。吉原へ向かう男の視線の先を「眩しい」と形容し、生活排水に汚れた川への「無関心」を「きらきら」というオノマトペで表象する。「オリンピックがまた・・来る」ことへの意思も敢えて書かない。ここでは、過去の風景は肯定とも否定とも違う形で、あくまで語られる対象として切り取られる。過去はノスタルジーの対象でありながら、価値判断は常に保留されたままなのだ。こうした石川の方法は、穂村作品に見られる個人史的時代批評性・・・・・・・・・に対して、超越的経過観察性・・・・・・・・とでも言うべき特徴を示している。ノスタルジーは歌の中で想像力の動力源として機能するが、それらは連作内で複層的に配置されることで、時間の流れそのものを見つめる語り手の視点の中に回収され、中和されるのである。
  夜の帳は我らへ降りて貧弱な想像力は出る幕がない
  あれは春 蝶のあなたが水溜まり飛び越しながら見てゐた光
 そんな石川が、元同僚の失踪という物語を通して震災以後の世界を描いた「human purple」では驚いたことに「貧弱な想像力は出る幕がない」と詠む。震災以後の世界という前提自体が、震災が起きなかった未来を仮想・・させる要因となり、ノスタルジーが現在に対するディストピア的認識として想像力を凌駕してしまうのだ。
  夢に背後といふものなくて呼ぶ声も波もあなたも正面から来る
  槍投げの槍刺さりたる地平より海湧き緑湧きて 釜石
  花嫁の投げたる花が鹿となり槍となりまた花となつてここへ
 それでも石川は、外部から押し寄せるディストピア的価値観を、強靭な想像力をもってはね返す。津波で亡くなった実在のマスターズ陸上選手を題材とする連作「千年選手」では、被災した後も生き続け、千年後の未来でも陸上大会に出場する選手の姿が描かれる。生き永らえた、という意味ではユートピア的であり、死ねない、という意味ではディストピア的という、極めて両義的な世界である。壮絶な現実から導き出されたこの想像世界は、美しく、かつ恐ろしい。更に、連作の末尾に添えられた「けれども、その大会を、私は見ることができない。」という文言によって、生き永らえた=死ねない選手と、やがて死んでしまう語り手とが対比される。語り手自身が超越性を手放し、現実に降り立ったのである。読者は語り手とともに、もはや戻れない震災以前の過去とあり得るはずのない想像世界との間で、価値判断が保留されたまま両方向のノスタルジーに引き裂かれる。そして、それらの間に存在する現実=現在(今、ここ)を、ひしひしと噛み締めることになるだろう。この作品は間違いなく、短歌における「震災後文学」のひとつの達成である。
 ある時代における変化や時間を描く際に、現実社会において潜在化したノスタルジーと如何に向き合うか――。異化によるノスタルジーそのものへの批評。想像力による両義性の復興。平成の終わりという節目に出た二冊の歌集が、興味深い答えを示している。
 
【付記】十二回目にして初めて歌の引用・・・・をした。歌に関する話というお題目・・・で誤魔化してはならない問題が、この世界には多すぎる。

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