百葉箱

百葉箱2018年9月号 / 吉川 宏志

2018年9月号

  待つてゐたバスは素通りしていつた われはよくある背景なのか
                                一宮奈生 
 他者から見た自己は、しばしば短歌のテーマとなる。自分は、風景の中に溶け込んでしまうような存在なのか、と愕然としている。状況が具体的で、ユニークな一首だ。
 
  絵はがきの隅のすみれに文字の雨かからぬやうに書き終へにけり
                                石原安藝子 
 書くことが多いと、絵に文字が重なってしまう。ほどほどのところで書き終えておく、という呼吸が、この歌から伝わってくる。文字を雨と喩えているところも洒落ている。
 
  生きづらいつて息がしづらいことですかかもめは霧におぼれてしまふ
                                  千葉優作 
 「生きづらい」は現在よく使われる言葉だが、その苦しさをさらに深めている感がある。下の句のイメージは陰鬱だけれども、大きな海を感じさせる。
 
  放たれてどうと落ちくるダムの水さういふ風(ふう)に曲がるのか、空
                                 有櫛由之 
 ダムの水の勢いを上の句で簡潔に歌い、下の句の空間もゆがんでしまうような感覚につなげている。リズムに工夫があり、緊迫感のある歌になっている。
 
  錆ついた蛇口を右手でつかむとき凍った町の臓器はうごいた
                              髙田獄舎 
 一つの蛇口をひねるとき、冬の町に張り巡らされている水道管も生きて動いているような感覚があったのだ。全体的になまなましい雰囲気があり、魅力的である。「右手」の語や、結句の口語もよく効いている。
 
 一点お詫びです。七月号の「ルノワールの描いたイレーヌ ナチにより命消されて絵の中に居る(河田潮子)」で、私はイレーヌ自身が殺されたように読んでいましたが、彼女は迫害後も生き延びたそうです。ただ、イレーヌの娘や孫は命を失ったそうで、そのことを歌った一首と思います。ご指摘、感謝します。

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