青蟬通信

若い日々の歌 / 吉川 宏志

2018年5月号

 広島県の山間部にある三次(みよし)高校は、歌人の中村憲吉の出身校である。それを記念して、三次高校全国短歌大会が行われており、全国の小中学校、高校から数多くの歌が送られてくる。今年が十周年で、私は五年ほど、賞の最終選考を行っている(一次選考は大森静佳さんが担当している)。
 二千首くらいの中から十首を選ぶ。今回、高校生の部の最優秀作に選んだのは、
  満月も月から見れば満地球君に私はどう見えてるの
                          雪吉千春 
という一首。上の句は、やや強引な言葉の続け方なのかもしれないが、それでも目を惹きつけられる輝きを持っている。地球にいる私たちは、月からどのように見えるのかを直接に知ることはできない。それと同じように、「君」から「私」がどう見えているのかは永遠に分からない。
 他者と関わるときの不安と、どのように見られているか知りたい願望が綯(な)い交ぜになって、勢いのある歌になっている。
 選んだ十首の中に、
  僕は君の思っているような奴じゃないカラッカラな穴のあいたバケツ
                                  岩本瑠央 
という歌もあって、他者から見られる自分というテーマを、素直に、苛立ちも込めながら歌っている。バケツの比喩がとてもおもしろく、自虐的な思いがよく表れている。
 高校生の頃は自分の存在が最も不安定で、外側からの視線を頼りに、自己を確かめたいという思いが強烈にあるのかもしれない。私が高校生だったのはもう三十年前で、その頃の思いは、ふだんは忘れているのだが、こうした歌を読むと、あの苦しさがざわざわと蘇ってくる感じがする。
 雪吉千春さんは、今年の歌壇賞の最終候補にも残っていた人で、後で知って驚いた。
  窓際で辞書温まる先生の和訳はいつも少しおかしい
  貸与型奨学金の説明会爪を見ている君を見ていた
などの歌が印象に残っている。これからの活躍がとても楽しみである。
  雨の日の重たい空気に包まれて俯き踏んだ小さな湖
                          品川未帆 
  白い羽根打つたび空を舞ってゆくこれは私が強くなった証
                             松尾弥依 
 高校生の歌をもう少し挙げておきたい。一首目は、水たまりを「小さな湖」と歌っているのが清新である。二首目は、バドミントンが上達していくことの喜び。内省的な前者と、強さを求める後者。どちらも、若い日々の中の一瞬の感情が、鮮やかに捉えられている。
 小中学生の部で最優秀作に選んだのはこの歌。
  雨降りが教えてくれたアジサイに固い表情ゆっくりゆるむ
                             堀 大護 
 晴れているとき、アジサイはかえって目立たない。ところが雨が降ると、青い色が際立つように感じられる。雨によって、アジサイは存在感を増すのである。それを「雨降りが教えてくれた」と直観的に表現しているところがすばらしい。授賞式で、作者も同じようなことを語っていて、感動してしまった。繊細な感覚を持っている中学生が今を生きていることが、とても嬉しかったのである。
  空と海夕日が二つあるみたい二つが同時に姿を消して
                           永田 遥 
 中学生の歌では、この歌も好きだった。空の夕日と、海に映った夕日が、水平線で重なりながら消えていく様子を、素直な言葉で映像的に捉えている。
 小学生の歌では、
  納豆をおいしくなれとかきまぜるそしたら入れ物はしであなあく
                                西本煌哉 
を選んだ。納豆がよく入っている発泡スチロールのパックのことだろう。思わず笑ってしまう一首だが、健康な食欲がまっすぐに歌われていて、すごくいいなあ、と思うのである。このような歌は、大人にはもう作れない。そして、日常の中のこんなに小さなところからも、新鮮な表現を生み出すことができるのだと、改めて教えられる気がする。

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