百葉箱

百葉箱2018年3月号 / 吉川 宏志

2018年3月号

  一斉にあかき空から逃げてきて小さき鳥のばらけたる列
                            吉澤ゆう子
 夕方になり、鳥が帰巣する様子を歌っているのだが、美しい不安感に満ちている。「ばらけたる」から、鳥のざわめきが伝わってくるようだ。
 
  姥ユリに近づくな そは夕暮れに耳を狙つて種を飛ばすと
                             河野純子 
 不思議な一首で、こんな言い伝えがあるのだろうか。徒然草の「鹿茸を鼻にあてて嗅ぐべからず。」という短い章を思い出す。「姥ユリ」がよく効いていて、怖い歌である。
 
  夏櫨の散り敷く庭のひだまりにタイヤを外しタイヤを嵌める
                              小林貴文 
 雪の降る前の小春日にタイヤを取り換えているのだろう。「タイヤ」の繰り返しが印象的で、ゆったりした時間感覚を生んでいる。また「夏櫨」という木の名も、情景に奥行きを与えている。
 
  邦訳は『雨を見たかい』さまよえる一艘にただ寄り添って漕ぐ
                               田村龍平 
 上の句はCCRというアメリカのバンドの名曲。ベトナム戦争の爆弾の雨を歌っているとも言われた。下の句は傷ついた者に寄り添うイメージ。謎めいた歌だが、言葉の喚起する映像が魅力的である。
 
  ポケットの内にポケットあることに気付く明るき枯野を行けば
                               森尾みづな 
 ポケットという小さな物と、枯野という広がりが組み合わされ、イメージの豊かな一首となっている。いくつもの空間の重なりの中に生きているおもしろさ、と言えばいいか。
 
  黒板に赤く書かれて色弱のぼくにはザネリの孤独が見えない
                              宮本背水 
 ザネリは『銀河鉄道の夜』の登場人物の名。他者の孤独が見えない孤独が、印象的な場面の中で歌われている。ザネリはカムパネルラに助けられるが、「ぼく」には救いがない。そんな悲哀も感じられるように思う。

ページトップへ