零余子 / 真中 朋久
2016年12月号
空き地といえば昔は遊び場だったが、最近の都会の空き地はたいていフェンスに囲われて都市計画道路の説明などが貼ってあったりする。
そういう空き地に草が茂って、藪のようになっているところ。初夏にはカニクサやヘクソカズラ、そしてヤマイモのようだが、ちょっと雰囲気が違うものがあった。花が咲いているが、ヤマイモの花はこういうものだったか。細かく見ると、葉のつきかたも違う。図鑑で調べてみると、これはオニドコロというものであるらしい。
図鑑とづる夜のかなしみ童にて祖母と食ひしはこのおにどころ
千代國一『冬の沙』
基本的には苦くて食べられない。アク抜きをして食べることもあるらしいが、さて千代國一が少年時代に食べたのは、アク抜きをしたものだったのか。
そんなことがあって、秋。通勤経路なので毎朝そこを通っているのだが、ふと見ると零余子(むかご)がついている。オニドコロには零余子はつかないはず。ならば、初夏に見たものは何だったのか。
あまりじっくり見ることもできないが、いくつか写真を撮ってあとで調べた。結論からすれば、オニドコロとヤマイモは同じところに生えることが少なくないらしい。ヤマイモを掘っているつもりで、オニドコロを収穫してしまう。口に入れて、なんでこのヤマイモは苦いのかと思う。それがヤマイモでなかったことに何十年か経って気づいたというのが、おそらく「夜のかなしみ」なのだろう。
それはそうと、零余子があるなら手をのばす。
さがしあてたぐればほろろこぼれたりはかなかりける零余子(むかご)の実かな
佐佐木信綱『豊旗雲』
蔓ひけばおのれこぼるる零餘子(むかご)なり秋の日ざしは松に傾く
太田靑丘『国歩のなかに』
零余子(むかご)つぶつぶ零余子ふつふつめん鶏(どり)になつて日向を歩く
河野裕子『蝉声』
摘もうと思っても、ぽろぽろこぼれて取り落とす。歩道にこぼれたものを鳩がみつけて拾ったりしている。
何日かかけて、少しづつ摘んで持ち帰ったものが、軽くひとにぎりになったので、零余子ごはんにした。豆ごはんを炊く要領で塩ひとつまみ。水に酒をあわせて炊くとよい。とくだん美味というものではないが、野の風味。季節の味である。
藪の零余子はまだ摘める。なので、これを摘んで別の空き地のフェンス際にも蒔いたりしている。どうせ空き地なのだから大目に見てもらおう。来年そこでも零余子がとれるかどうか。
東京に来て採集生活をするとは思わなかった。