短歌時評

現代短歌の両義性とは一体なんなのか / 花山 周子

2016年12月号

 馬場 当たり前のことを言い方によっては、「えっ、そうなんだ」と思わせるテク
 ニックが現代の若い人たちのおもしろがり方になっている。そこのところには知的
 なおもしろさというのはあるけれど、私などの考えていた短歌というのは、もっと
 私を差し出す、人間を、心を差し出す、自分のどこか真実なものを読者の前に差し
 出すものだったのに、今、そうではなくて、こんなふうな言い方ってあるよとい
 う、言ってみれば文芸的な、知的なニュアンスのおもしろさを差し出そうとしてい
 る。(略…)
 穂村 今おっしゃった三首の歌って、全部、アイディアがありますね。(略)ふつ
 う、気づかないところに気づいている。だからこそ、歌になっているので、逆に言
 えば、アイディアがないと不安というか歌にできない。 『寂しさが歌の源だから』
 
 これは、「短歌」で一年間連載され今年本にもまとめられた、馬場あき子とインタビュアー穂村弘とのやり取りである。連載当初から話題になった個所だ。こうした馬場と穂村のやり取りについて「鱧と水仙」47号季評「和歌的なものの回復」で香川ヒサは「世代間の差異として語られる問題が短歌の本質に関わる問題であることを明るみに出している」と注目する。そして次のように整理してみせる。
 
  「人間を差し出す短歌」と「アイディア短歌」、これは生きてきた時間を背負っ
 た自己を表現する短歌と、言葉によって齎らされる驚きや感心や感動といった一瞬
 の生の実感に賭ける短歌と言い換えられるかもしれない。どちらが本質的な短歌の
 在り方なのか。短歌を近代文学と考えれば前者だろうし、古典和歌以来の伝統文芸
 と考えれば後者になるのではないか。つまり古典和歌から近代短歌へ短歌の様式を
 保ったまま革新された時に、短歌は両義的な表現形式になったのであり、近代短歌
 とはそういうものなのだと思う。…(略)…
  短歌の熟達者たちと新人たちの世代間の差異と見えるものが、実は近代化した短
 歌と伝統的な文芸としての短歌との差異のヴァリエーションとも思えてくる。
 
 つまり、近代以降、短歌は両義性を内包してきた。そして、短歌史的な流れから切れた新人種として語られがちな若手の歌は、実はその両義性の一方であるところの「古典和歌以来の伝統文芸」だと考えられると言うのだ。そしてこの発想はおそらく「言ってみれば文芸的な」と馬場が言うところにも重なってくる。ただ、ここで注意深くありたいのは、古典を愛し造詣の深い馬場が「人間を、心を差し出す短歌」と「古典和歌」とを対置して考えているとは思えないことだ。そしてもう一つは、穂村が「アイディアのある短歌」と言ったときにイメージしたものと、香川がこの文章で想定する「アイディア短歌」は少し違うということだ。というのも、穂村は同じ発話の中で続けて、
 
  それって、すごく資本主義的だと思うんです。一つのアイディアが売れる。値段
 のつく歌というんですか。実際には短歌は値段がつかないんだけど。僕、それは吉
 川宏志さんの歌に昔から感じていて、全部にアイディアがある。…
 
とも言っていて、ここでは穂村がもっと以前からの現代短歌の一つの特徴として「アイディアのある歌」を語ろうとしていることがわかる。しかし、少なくとも香川の文中で想定されている「アイディア短歌」に吉川宏志の歌は含まれていないだろう。では香川はどのあたりを想定しているのかというと、それは文章の冒頭部分に書かれている。
 
 …新しい歌人が次々に登場している。彼らの多くは、平成という時代に、即ち東西
 冷戦期が終わりバブル経済の弾けた後の社会、グローバル化の昂進と長期に亘るデ
 フレ経済の社会に生まれ育った世代であり、またインターネットの普及による世界
 の高度情報化に曝されている世代でもある。彼らの歌には自ずからそのような時代
 を反映した世界観や人生観が表出しているだろうし、それが二十一世紀の短歌を担
 ってきた世代に違和を感じさせるのも当然かもしれない。
 
 香川の文章はだいたいこの辺の世代を想定して書かれているのだ。ちなみに、馬場と穂村の対談中で挙げられた三首は、次のものだ。
 
・ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか
                             光森裕樹 
・もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く
                             大森静佳 
・死んでから訃報がとどくまでの間かんぼくのなかではきみが死ねない
                             吉田隼人

 
 二首目の、大森の歌について、馬場は、次のように言っている。
 
  ふつうだと、電飾を君と見に行くのが中心になるわけよ。ところが、そうじゃな
 くて、ここではもみの木はきれいな棺になる、上等な棺桶になる木なんだというこ
 とが主役になる。ここに、いまの若い人の感性がある。若さの中にふと死への想念
 が入るような、(略)自分や一般的に人間に対して客観的ですね。
 
 この歌の感性の質がとてもよくわかる批評で同時にこの歌の背後に現代短歌の推移もなんとなく感じさせる批評ではないだろうか。穂村が吉川の歌に繫げて考えるのもよくわかるのである。クリスマスツリーがきれいな棺になるという発見のレトリックがデートから気遠い想念としてまずあり、「電飾を君と見に行く」が冷ややかな叙述として、あるいはぽつんとしたつぶやきのように付加される。このような上句と下句の構造が歌全体を硬質な観念性へと導く。ここでは確かに実人生的なトピックが主眼にはなっていない。短歌的なわれからは一歩後退した静謐さがある。ただ、だからといって、この歌が「文芸的な、知的なニュアンスのおもしろさを差し出そうとしている」ものとも思えない。光森の「死に至るふかさか」と問いかけるとき、あるいは吉田の「ぼくのなかでは」と規定し、「きみが死ねない」と否定するとき、そこには「言葉によって齎される」とは言い切れない現実を感覚する人の姿があると思う。
 これらの歌に認識の発見や提示があることは確かなのだが、そういうレトリック自体は穂村が指摘しているように今にはじまったことではない。そしてただ、そのレトリックの見せ方が今までとは若干異なってきているのかもしれない。寺山が短歌を「自己肯定の文学」と言ったがこれらの歌からは、そういう歌のわれが後退し、個に帰さないもう少し現象的なものとしての「私」というものが浮かび上がる。ただ、これら三首には基本的には現代短歌の両義性は引き継がれていると見ることができるのではないか。私はここで何を言いたいのだろう。私は香川の認識を大まかには共有しながら、その整理の仕方には少し違和感があるのだ。香川のいう両義性とは、「古典和歌からの様式を保ったまま近代短歌へと革新されてしまったために、短歌が宿命的に背負ってしまった両義性」(注:大森静佳による要約「現代短歌」十一月号「宿命のこと、最近のこと」)ということになる。それはその通りだと思う。でも、では、なぜ今になって、それが世代間の違いのようなかたちで顕在化してきたのか。そこには現在に至る経緯がやはりあるのではないか。
 現代短歌の両義性とは一体なんなのか。それは、近代短歌がはじまった時点とは当然違うはずなのだ。アララギの歌集に限らず、多くの近代の歌集を開いてすぐに気がつくことは、見せ方の意識の希薄さである。見せることはこの時点では目的化しない。今のような鑑賞や批評のかたちが形成されないなかではそれぞれの作者が、あるいは集団が暗中模索のただなかにいる。そのような実地の体験から様々な歌論が生まれる。近代短歌から見える人間的な厚みというのは、その起伏ある実人生にのみ還元できるものではなく、自らの開拓の軌跡がその歌業に刻まれているからだ。
 こうして様々な歌や歌論が開発されるなかで、秀歌、名歌が選定され、次にはそれを目指して、方法としてのレトリックが収斂されていく。見せ方という意識が加わる。人生的な感慨を兼ね備えることで歌に重みや説得力、時には迫力を付加しつつ、そこに鮮やかな認識の提示やレトリックを取り入れることで和歌的な見栄えを獲得し、一首を屹立させる。ここでの実人生とレトリックは既に方法としてのドッキングであり、鵺のように万能化していったのが現代短歌なのではないか。さらに、その過程では、戦後、近代短歌的なわれが否定されたことはとても大きなことだった。短歌のわれはそのままでは存続できなかった。そこで短歌の存在意義として見出されたのが批評性を歌に内在させることだった。批評性のためのレトリックが開発され、その強度を担保するために実人生が奉仕する。
 
・親が子を死なせた記事をしみじみと歯のない口で吾子が噛みしむ
                  澤村斉美「Mother of」(「短歌」九月号)
 
 現代の残酷な事件と無垢なものとの対置を露骨に出す。その露骨さが生きてくるのは、その二つを眺め、そこにある無情さを母という立場を通しかなしみとして認識するわれの存在だ。「噛みしむ」には赤子の舌が執拗に未知の味を味わう様子と、その情況を認識し噛みしめるわれの眼差しとが交わっていて、実感が伴う。母という実人生における立場がこの歌の批評性の強度を担保し、その批評性が母子の甘さに流れない普遍性を担保する。現代短歌にあって大いに評価されるべき歌である。でも、私はこの歌を読んだとき、澤村さん、これをやっちゃっていいの?と、思ったのだ。私の倫理観にこの歌は引っかかる。現実の赤子を直ちに無垢なものの象徴として歌の批評性に奉仕させてしまっていないか。澤村さんを知っている私は澤村さんが本当に真摯にこの現場に向き合い、衝撃を受けているのだと思う。あるいはこの現場自体は架空であったにせよ、今の時代と真摯に向き合うべく設定された光景に違いない。だとしてもここにあるのは批評性が先立つことで形骸化した現実なのだ。
 このような現代短歌の地点から顧みる時、近代短歌とはなんだったのか。それは先に述べた見せ方の意識の希薄さとともに、このような批評性の欠如ということになるのではないか。それは別段近代短歌に批評的な機能が皆無だったという意味ではない。寧ろ、必ずといっていいほど現代短歌に要求される批評性とは対象との関係が固定化された一つのスタンスに過ぎないと思う。それは、どこまでもわれの気づきと、われの内省を見せることにとどまってしまう。それが読者への気づきや共感に結びつくことができたとしても、問題の本質にそれ以上に食い込むことはない。時代や社会が著しく変化している昨今にあって、そのような袋小路に限界を感じはじめている人は多いように思う。「塔」二〇一四年八月号の時評「彫りの深い〈私〉を束ねて」で大森静佳は、クロストーク短歌「続 いま、社会詠は」での次の歌等を巡っての議論を紹介していた。
 
・被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは役に立たざる涙流さず
                          米川千嘉子『あやはべる』
 
  松村(注:松村正直)は、(略)ここには幾重にも思いが屈折した「折りたたみ
 の技術」があると指摘。それに対して大辻(注:大辻隆弘)は、震災以降、こうし
 た「自意識の入れ子構造」的な歌い方や、「葛藤」を詠むことで歌を「文学」にす
 るような方法を嘘くさく感じるようになったと率直に発言した。
  吉川(注:吉川宏志)は、八〇年代頃までは民衆=善/権力=悪という二項対立
 があったので、社会詠も権力へのシニカルな視線を共通の基盤として歌われていた
 が、次第にその二項対立自体が疑わしくなってきたと分析し、震災後のいまは、も
 はや一人一人のヒューマニズムを大切にする時代に入ったと述べる。自意識を折り
 畳むような歌い方になってしまうのも、二項対立では立ち行かなくなったこのよう
 な時代の曖昧さと関係があるのだろうか。
 
 この米川の歌を私は現今の方法にとどまって最大限真摯に歌っている歌だと思う。そして、だからこそ、そのことの袋小路の苦しさが滲んでいる。それを、「技術」や「方法」として分析され、「嘘くさく感じる」とまで言われることに、私はかなしくなってしまう。米川千嘉子は、現代短歌の内部からまともに格闘している稀有な存在だと思うのに、そういうところほど槍玉に上がってしまうところに苦しい現状がある。
 ともかく、現代短歌は、批評性を駆使する対象としてのあらゆる社会的な事象に対応する良心をも担ってしまっていたのではないか。そして、実際にコメンテーターのようにあらゆる事象にその良心を向けてきた。そんななかで、東日本大震災のときには、詠わない、詠えないという歌人が多く出たのである。そしてさらに「詠わない、詠えない」すら感じさせないまるで無関心なような歌の営みがあった。それは、ごく若い世代の歌人に顕著に見られる傾向だった。「短歌研究」二〇一五年十一月号「不可知と慄然―戦後の終焉のまえに」の中で寺井龍哉は次のように言う。
 
  私たちの世代の政治的無関心はたびたび指摘されてきたが、原因はかならずしも
 無気力ではない。知らないことと何かを信じ込むことへの怯えのなかで、ときに選
 択的に口をつぐむのである。
 
 寺井は「怯え」という心理から詠わないことの理由を説明しているが、ここには、現代的な謙虚さと慎重さの裏に貼り付く潔癖さの矜持のようなものが滲む。寺井は同じ文章の中で、「私は無知を恐れると同時に盲信をも恐れている。感動や賞賛に理由や動機を求めてしまう優柔不断は、思考停止に陥らないための積極的逃避でもある」とも述べていて、もはやどのようにも無防備にはなれない雁字搦めのメタ性が潔癖症的に逃避に向かう心情が率直に語られているのだ。
 おそらく、この潔癖さが若い人に共通する感性なのではないか。そのような感性が、彼らの選択を極端に狭いものにする。レトリックはレトリックとして、観念は観念として、あるいは日常は日常としてなるべくシンプルに差し出そうとする。それが香川の指摘する「両義的な表現形式」から若い人の歌が細分化していっている一つの理由でもあるのではないか。先の大森、光森、吉田の三首にしてもなんとなくその感じはあると思うし、たとえば、阿波野巧也が、千種創一と土岐友浩の歌の中に従来的な職場詠がないことについて次のように述べていたことにも重なってくるように思う。
 
  千種や土岐の作品には〈公〉の姿、「秘書官」的な何かの姿や「精神科医」とし
 ての姿は見えないが、〈私〉の日常の姿がしっかりと息づいている。そして、その
 姿は「仕事」と決別した「歌人」としての姿だ。その透徹ぶりにかけがえのない日
 常への志向を感じる。 「『砂丘律』を中心に仕事と日常のことを考えてみた」
 (「短歌」四月号)
 
 ここで、阿波野が職業詠がないことに、寧ろ積極的な「日常への志向」を見出してみせたことの意味は大きかったと思う。この阿波野の文章を受けて、香川は先の文章を次のように結んでいる。
 
 「歌人の日常」、私のこれまで思っていた「日常」と意味が反転しているのに驚愕
 したが、思えば和歌を作っていた歌人たちの「日常」はこういうものだったのかも
 しれない。このような思考に和歌的なものの回復を感じてしまった。
 
 このような思考が和歌的なものなのか私には今の時点でよくわからないが、阿波野の文章を読んだ香川が職業というものを巡って〈日常〉と〈公〉が反転していると感じているのが興味深い。
 
 いま、若い人の内部には幾重にもメタ的レイヤーが折り重なっている。それは、近代から徐々に積み重ねられてきたものであるが、ほとんど身動きが取れないほど深刻なところまできている。必然的に潔癖であることを余儀なくされる。そんななかで現代短歌を成り立たせてきた両義性を素朴に引き継ぐことはもはやできなくなってきているのではないか。彼らは意識的に、あるいは無意識に、その両義性を分解しはじめている。分解されはじめた歌は今までとは違うという印象を与える。上の世代が若い人の歌に対して本当に共有できているのはこの「違う」という印象でしかないのではないか。人間がいないとか、人間を差し出していないとか、人生がないとか、そういう言説はその違和感を説明しようとしている現状でしかない。彼らの脳裏が直観的に本質をつかまえている気はするが、決して言い得てはいない。なぜなら、ここでの「人間」や「人生」は厳然としてあるものではなく、違和から逆算的に算出されたという意味で実体がないのである。それが、議論が擦れ違っている理由の一つではないか。  (続く)

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